大和神社を出て少しだけ北に向かうと左にすぐ見えるのが馬口山古墳です。全長110メートルの前方後円墳で、墳丘上で特殊器台型埴輪の破片が採取されたことから、古墳時代前期前半の3世紀後半に築造されたと考えられます。
大和神社の参道からすぐのところは前方部。
この裏手に回ると後円部が見えます。
馬口山古墳を確認した後は国道と並行する村の中の道を南へ向かいます。この道はおそらく古代に上ツ道と呼ばれた道だと思います。走り出してすぐを左に曲がったところにフサギ塚古墳があります。全長110メートルの前方後方墳ですが、築造時期を推定できる遺物がないとのことでいつ造られたのかわかっていません。
他の方のブログなどを見ていると、少なくとも2016年時点ではこの説明板の文字がくっきりとしているですが、私たちが訪ねたときにはほとんど読み取ることができないくらいになっていました。
これは大和神社に向かう途中に撮影しました。
さらに南下すると右手前方に見えてくるのが矢矧塚古墳です。全長が102メートルの前方後円墳です。こちらも築造時期はわかっていません。
これまた消えてしまっている説明板。
後円部です。
墳丘全体が柿畑になっています。
これにて大和古墳群と柳本古墳群の踏査を終えて、あとは桜井市に向かってまっしぐら、纒向遺跡に戻ります。少しずつ陽が傾いてきました。
大和神社の参道からすぐのところは前方部。
この裏手に回ると後円部が見えます。
馬口山古墳を確認した後は国道と並行する村の中の道を南へ向かいます。この道はおそらく古代に上ツ道と呼ばれた道だと思います。走り出してすぐを左に曲がったところにフサギ塚古墳があります。全長110メートルの前方後方墳ですが、築造時期を推定できる遺物がないとのことでいつ造られたのかわかっていません。
他の方のブログなどを見ていると、少なくとも2016年時点ではこの説明板の文字がくっきりとしているですが、私たちが訪ねたときにはほとんど読み取ることができないくらいになっていました。
これは大和神社に向かう途中に撮影しました。
さらに南下すると右手前方に見えてくるのが矢矧塚古墳です。全長が102メートルの前方後円墳です。こちらも築造時期はわかっていません。
これまた消えてしまっている説明板。
後円部です。
墳丘全体が柿畑になっています。
これにて大和古墳群と柳本古墳群の踏査を終えて、あとは桜井市に向かってまっしぐら、纒向遺跡に戻ります。少しずつ陽が傾いてきました。
古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋 浩毅 | |
日比谷出版社 |