古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

新沢千塚古墳群(葛城・纒向ツアー No.15)

2020年01月03日 | 実地踏査・古代史旅
 新沢千塚古墳群は畝傍山の南に広がる越智岡丘陵上にあって、古墳時代前期〜後期に形成された円墳など総数600基以上の墳墓を有する日本有数の群集墳で、1976年(昭和51年)に国の史跡に指定されています。これらの墳墓は4世紀末から7世紀、つまり古墳時代を通じて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られたそうです。なお、巨勢山古墳群と違ってこの古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていません。

公園の案内板。

古墳群の全体がわかります。

 もともと行程に組み込んでいなかったこの新沢千塚古墳群。どうして直前で行くことにしたのかと言えば、事前学習で訪ねた古代オリエント博物館の「しきしまの大和へ -アジア文華往来- 」という秋の特別展を見たからです。「国際色豊かな副葬品が出土した新沢千塚古墳群」と紹介されているのを見て心を動かされました。

その国際色豊かな副葬品が出土した126号墳を紹介した特別展のパネル展示。

写真の真ん中あたり、丘陵のくびれている部分に見える長方形の墳丘が126号墳です。拡大しないとわからないかな。

 古墳群は1947年(昭和22年)以降、なんども調査が実施されたようですが、5世紀後半の126号墳からは、金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土したそうです。火熨斗(ひのし)という炭を入れてアイロンとして使用した金属器が日本で初めて出土したり、西域から新羅経由でもたらされたと見られるローマンガラス製品が出土したりするなど、全国的に大きな話題となったようです。このときの出土品は東京国立博物館に所蔵されているとのことで、機会があれば見てみたいです。

甲冑一式、盾、鉄刀などの武具や武器が出土した115号墳。

直径18メートルの円墳です。

これが126号墳。




墳丘上で顔出しの記念撮影。


太陽は沈み、小さいけれども明るい月が現れています。


畝傍山がきれいに見えます。


あちこちにポコポコと見える小さな古墳。






 時間があれば併設する「歴史に憩う橿原市博物館」を見学したかったのですが、この日は朝から充実の踏査を続けてきたために最後にしわ寄せがきて、古墳群そのものをほとんど見ることができませんでした。それでも126号墳を確認できただけでも満足です。

 さあ、これで初日の踏査がすべて終了です。大和八木まで戻ってレンタカーを返却し、すぐ近くのホテルにチェックイン。このあとはお楽しみの反省会です。

近くの居酒屋で一日を振り返って盛り上がりました。

 
 2日目は大和八木駅から近鉄で東へ3つ目の桜井駅へ移動、駅前でレンタサイクルを借りて纒向からオオヤマト古墳群を巡ります。初日よりも珍道中になったので、次回からのレポートをお楽しみに。



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小嶋浩毅
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