あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

白藤に指伸ばしている車椅子  あきオジ

2011-05-06 18:43:34 | 日記
神代植物公園です。
バラを待つ人たちが話題にしています。

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あめふるふるさとははだしであるく  山頭火

(山頭火はほろ苦い思い出しかないふるさとを取りあげた句が多いですね。こみ上げる思いは深いですね。)

つかれた脚へとんぼとまつた  山頭火

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今日は神代植物公園に出かけ、それでおしまいでした。
なぜかブルックナーの「ロマンチック」の勇ましい曲を聞いて居眠りしていました。
それはそれは金管楽器が鳴り響く
勇ましい曲なのに眠いのです。

今日はズービン・メータが指揮した第9を聞いて寝ます。







真白なる野薔薇かぐわし鐘の音  あきオジ

2011-05-06 18:41:26 | 日記
神代植物公園の野薔薇です。
深大寺では今でも時の鐘を僧侶が撞ちます。

けっこう楽しみにしている人もいて
その時間になると人が集まってきます。

こんなことも消したくない儀式ですね。

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旅人よ笠島かたれ雨の月  蕪村

(笠島は宮城県名取郡の歌枕です。今度の震災で被害のあった地ですね。でも、ここにも蕪村は出向いているのですね。芭蕉にしても江戸時代の俳人は健脚だったのですね。)

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そうも明日は結婚式です。
めでたいことなのでしょうが、いい親戚を演じることに疲れます。
あの「幸せにならないと許さない」というような空々しい祝辞
親戚のおばさんの鶴亀の舞い
そして、マイウエイ男
何とかなりませんか?

葬式も家族葬が主流の時代
結婚式は家族婚あるいは
友達婚くらいにしてほしいですね。

でも、この年まで耐えてきたのですから
もう少し辛抱しましょう。
これで招待されることもないでしょう。

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流れ雲避難所暮らし見ているか   あきオジ

2011-05-06 18:39:31 | 日記
神代植物公園ではあやめの展示会が始まりました。
江戸時代、武士は菖蒲を愛したそうです。
そして、切り花にして座敷に飾り
相対して心を鍛錬したそうです。
それもいいけど、ご苦労様です。

「ぐうたらが生きられる時代」に生まれたのです。
齷齪しないで暮らしましょう。

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男鹿の荒波黒きは耕す男の眼  兜太

(兜太の句は、堂々とした句ではありますが、形式を突き抜ける力にはなっていないような気がします。でも、コラージュ風にイメージの強い表現をぶつけあう技法は魅力的ですね。私は前景と背景を対比させる技法とか、意外な組み合わせを提示して、あらたなイメージを構成する。そんな技法は好きです。素材そのものをぶつけ合うスタイルは好きです。でも兜太の句は、その道筋を開いただけです。新たなる才能が道を開く時がくるでしょう。それとも、俳句は芸事のままで終息するのでしょうかね。まあ、どちらでもいいし、心配もしていないのですが、あれっというような新人が登場してほしいですね。でも、結社からは生まれてきませんが、基本を学んだ人の中からは生まれないでしょうね。それはそれ、素人はプロの世界のことを評論してはいけません。)

汚れて小柄な円空仏に風の衆  兜太

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襟足をつつむごゆかしさ白牡丹  あきオジ

2011-05-06 06:11:05 | 日記
昭和記念公園の日本庭園の牡丹です。
手入れがいいので色がきれいですし
姿がいいですね。

落ちた花はただちに処分されているので
いつもきれいに保たれています。

人の世と構図が同じなのですね。

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目にかかる時やことさら五月富士  芭蕉

(常識ある俳人であれば、適切な解説をして、解釈もして、感想も穏当なものをつけるのでしょうね。でも、私は過剰なおもいいれをして、背景にあるあれこれを説明したり、多面的な理解をすることもできないし、いたくもありません。電車に載って駅弁を食べながら、景色を見ている。その「ボー」としたところから抜け出したくありません。数年前、このブログで「自分でお作りにならないのですか」とのコメントをいただき、ちょっとだけその気になりましたが、そのときから、このスタンスはかわりませんから、性分にあっているのかもしれませんね。自分のこだわりは大切にすべきだと思いますね。)

黄牡丹にしがみつきたる鬼やんま  あきオジ

2011-05-06 05:56:20 | 日記
昭和記念公園の牡丹です。
黄色は素人にはピントを合わせるのが難しく
そして、周囲の色に負けてしまうので
写真にするのが難しいような気がします。

でも、黄色の牡丹も素敵でした。
それを書きたくてアップしました。

それも楽しいですね。

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曲がれる釘の影まで曲れり  放哉

(このような構造的なものを捕まえる技法はいまも昔もあるのでしょうか。季語を重視する人たちにとっては、釘を題材にした句にするとき、季語をどうしようかと悩むのでしょうね。とくに、季語の多くはふた昔の田園風景を体験しないと見えてこないので、現代の生活では「吟行」でもしないと、句にするのも大変でしょうね。ご苦労様です。そんな背景があるからでしょうかね。朝日俳壇などを読んでいると、出かける場所と季語、そして感動の根っこが同じになってしまう句が多いですね。編者も上等な教養人ですから枠も似たりよったりですね。)

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昨日手に入れて「吉野秀雄全歌集」を読もうと思うのですが
読みたい歌集、句集が多くて
「ぼちぼち」では間にあいそうもありませんが
読んだところでどうこうなるわけでもなく

手に入れた時、半分は完結しているのですから
「まあ、いいか」です。

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食いつぶす記憶もなくて春終わる  あきオジ

2011-05-06 05:39:39 | 日記
昭和記念公園です。
チューリップも終わりました。
牡丹、菖蒲を期待しているうちに

次は西武ドームのバラ展
そして神代植物公園のバラです。

冬の物足りなさが嘘のように楽しく
嬉しい日々です。

今のうちから花のない季節に楽しめるものを
育てておきましょう。

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サイダーの泡立ちて消ゆ夏の月  山頭火

(膨大な句の中から編集者が選んだ句を並べると「ええっ」と思える句に出会えます。山頭火の句は主として、「山頭火句集」(村上護編)「山頭火」(石寒太)「放浪行乞」(金子兜太)「あの山越えて」(大山澄太)から選んでいるのですが、それぞれに共通している句もありますが、そうでないことが多くて楽しいです。そのうち、この編者の選ぶ基準が楽しいとか趣味があうとか言うようになるかもしれませんね。でも、それは無理だし、そんなことを期待していません。素人が素朴な日常感覚で「あれ」と思える感動があれば、それで十分です。)

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人の声して山の青さよ  山頭火

(山頭火の人恋しさや望郷の思いは、母親の死の誘惑なのでしょうかね。出家者の境地を求める人でもなく、このような句に出会うと「なんだ」と思いますね。

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