あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

積乱雲迫りきたりて薔薇覆い  あきオジ

2011-05-21 20:19:11 | 日記
神代植物公園です。

露地植えの薔薇で盛り上がっています。
植物会館では、薔薇の愛好家の展示会が開催されています。
バラづくし
それもいいでしょう。
やがて終わりますから
それまでお付き合いください。

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漬物桶に塩ふれと母は産んだか  放哉

(この句はストレートですね。後悔の言葉を出さない放哉ですが、このような句を作る心境になったのでしょうかね。このようなストレートな句をいやがる人もいるのでしょうね。俳人にまで道徳的人格を求める人がけっこういるのですね。)

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美は乱調にあり。

ふところに秘めし芍薬散りまぎわ  あきオジ

2011-05-21 20:07:59 | 日記
神代植物公園です。

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明日は昭和記念公園へ出かけましょう。
歩くしかすることがないのです。

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大峯の月に帰るや夜学生  飯田蛇笏

月さむくあそべる人や萩の宿  飯田蛇笏

(近代を代表する俳人ということなので、少しずつ齧ることにしましょう。とりあえあずは、読んで何となく内容の見当がつく句を選んでみましょう。挫折しそうな気もしますが、まあ、そんなことになっても知らん顔にしましょう。)

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陽を避けて坐りたがるバラ祭り   あきオジ

2011-05-21 18:54:50 | 日記
神代植物公園です。
いつから「疲れること」「坐りたがる」ことを当然に仕立てたのでしょうかね。
男性も情けないけれど
元気印のおばさんたちも歩きませんね.


自分の茶碗がある家に戻ってゐる  井泉水

(このような俳句を並べると放哉と見比べてしまいますね。多分、似て非なるものとして評価されているのでしょうが、私のような門外漢にとっては同じですね。文体が同じ、素材の扱い方が同じですね。放哉は自分の存在すら疎んじている。そのような差異があったとしても傾向は同じですね。それをどのような文脈で何を語ったらいいかわりませんが、ああ、こんな流れもあったのだ。そんな感想でしょうかね。)

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捨てられし木端から生まれし仏かな  あきオジ

2011-05-21 05:37:01 | 日記
神代植物公園です。

今年は三社祭が中止になったそうです。
伝統行事を簡単に中止してしまうのが現代ですね。
いかにも「自粛」
どこか違いますね。
災害があっても続けるから伝統行事であり
伝統そのものですね。

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いかにも「自粛の美談」は、逆な効果しか残さず、哀しい記憶しか残しませんね。

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しばらくは花の上なる月夜かな  芭蕉

埋火や壁には客の影法師  芭蕉

(余韻、気配を感じる美学を芭蕉は心得ていたのでしょうか。専門家でもない私があれこれいう筋合いでもありませんが、一茶にはない余韻の深さがあります。そこが面白いですが、独自の世界を作り出しているので孤高で素人は、近づくことを遠慮したい雰囲気があります。それが面白いのかもしれません。この自然と対峙する姿勢は独自の世界ですが、真似できないですね。きっとベートーヴェンを越えようとしてブラームスが20年かけて交響曲を書いたのと同じような状態があったのでしょうね。その後、どうなったのか私には分かりません。でもあらゆるものが「芭蕉が手掛けた」というような表現で片づけられたのでしょうね。)

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きっと、俳句が勢いを失ったのは庶民の圧倒的なエネルギーではなく、文学者というか詩人になれなかった学者、医者等の教養人によって支えられる領域になってしまったからかもしれませんね。知らないでものを言っても意味がありませんが、勝手にそんなことを考えています。

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子守唄聞くこともなき五月空  あきオジ

2011-05-21 05:16:26 | 日記
神代植物公園です。

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気がきかぬ児をしかりたる田植え歌  あきオジ

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しぐれてぬれて待つ人がきた  山頭火

(「しぐれて」は山頭火を象徴する言葉ですね。放哉なら「なりきる」でしょうか。そんなことを思いますすね。)

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世界遺産の特集番組をとりためて見ています。
今日は、吉野熊野を見ました。

自然と時代を越えて生き抜いたものは美しいですね。
熊野の火祭りも生活に根付いているところがいいですね。
東京ではあっさり捨て去ったものが生き残っているのかもしれません。

医療事情などがよければ田舎がいいですね。

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それぞれの波紋となりし石遊び  あきオジ

2011-05-21 04:59:54 | 日記
神代植物公園です。

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踏み切りは異界のごときき暑さ哉  あきオジ

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この数日、真夏のような暑さですね。
電力事情によっては、一気に労働形態が変わるかもしれませんね。
もう、土曜日、日曜日が休日であるという概念が変わってしまうでしょう。

それが当たり前になる。
時代の変化は、このようなものなのでしょうかね。

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価値観も倫理観も制度も、時代を動かす大きなできごとで一気に変わってしまうのですね。

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末法の遊女もすなり夏書かな  放哉

(放哉にも、このような江戸時代の風俗を描写した俳人のようなスタイルで俳句していた時代があるのですね。これも放哉なのですね。少し関心をもって現役時代の句にも目配りしましょう。)

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素人が俳句を自分の中に取り込んで見ようかと思うとき、伝統的なスタイルに疲れてしまうのです。
そして、仲間内の表現方法になり、兼題というのでしょうか。
課題に沿った句を作る。そんな勉強の仕方にまいってしまうのです。
そのような学習方法が、できるかた、お疲れ様です。

群れることも、努力して勉強するのも大の苦手な私には無理なのは目に見えてます。
俳句を作るなど最初から、そのようなことは投げ出しています。

生活のメモ
それがぴったりなのですね。