あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

新入生対外試合の日焼けあり  あきオジ

2011-05-22 17:25:49 | 日記
昭和記念公園です。
これで菖蒲が終われば一休みですね。
そんなことをしているうちに一気に秋なのでしょうか。

来年はこれまで粗製乱造した句を手直ししながら日めくりにしようかなどと思っています。
でも、そんなこと書いたら、覚えている人がいると困ります。
まあ、自分が覚えている自信が無い程度に読む人も気にしていないでしょう。

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手の薔薇に蜂来れば我王の如し  中村草田男

(この句を草田男の代表句とするのは意外な気もしますが、業界の評価なのでしょう。私にはちっともいいとも思えませんし、過剰で厭味だと思うのですが、それが素人の読みの足りなさなのでしょうかね。でも、草田男の句を拾ったので、まあ、いいか。)

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マンションで田植え休みを懐かしみ  あきオジ

それでいいこれでいいと菖蒲咲く  あきオジ

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梅雨入りや解雇通知を読み返し  あきオジ

2011-05-22 16:46:57 | 日記
昭和記念公園です。
スイレンですが、いま一つ人気がありませんね。
というのは自分勝手なのですが
私は仏教の蓮が好きです。
人の肌のようなピンクの毛細血管模様がいいですね。

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知人の息子が不況で解雇されたそうです。
その様子を聞いて哀しくなりました。
でも、誰でも贅沢言わなければ仕事先は見つかる。
そんな神話はないのですね。

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草分て狐村に入るや団(うちわ)うり  上田秋成 

(普遍性のある句もあれば時代と共に消えていく、あるいはその風情を理解できな状況になっている、そんな句もありますね。川柳を集めた柳多留を読んでも時代背景がさっぱり分からないので、諦めた経験があります。俳句のかなりの作品はそのような運命にありますね。私には、源氏物語を辞書を引きながら確かめること以上に根気がいることなのですね。文法的に分かったとしても、その文化的意味が読みとれないからです。そんなものかもしれませんね。この句など雰囲気と意味合いが何となく理解できるぎりぎりのところにあります。)

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N響の定期演奏会でパーカッションを中心にした演奏がありました。
なかなかの名演(素人にも伝わりましたから)で感動しました。
聴衆も拍手を病めませんでしたね。

昨晩はプラシド・ドミンゴの震災後に行われたコンサート番組を見ました。
アンコールで、ドミングが、「ふるさと」を歌手が聴衆と一緒に歌いました。
聴衆の多くが涙を流しているのが印象的でした。

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段丘にポピー咲ききり夏終わる  あきオジ

2011-05-22 16:39:26 | 日記
昭和記念公園のポピーです。
起伏ある丘を利用したデザインはいいですね。
圧倒的な量感に感動します。

淋しさ足らず求め足らず   放哉

(意味することなど、分からずとも、中途半端を嘆いていることだけは分かります。でも放哉の屈折した人生をあるいてくると、突き詰めることが難しいですね。そんな気がします。きっと、人の世は不可解で、理解するためには、正面から見る透明感が必要なのですね。)

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木漏れ日をじっと見上げる車椅子  あきオジ

2011-05-22 05:59:54 | 日記
神代植物公園の森です。

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古本屋で「秘密基地」という歌集を手に入れました。
内容はわかりませんでしたが、105円であったので買いました。
歌集はだいたいが安いですね。
まだ若い歌人だということで内容を読んでいたら誠実な人がらを偲ばせる内容でした。

手を振れば手を振りかえすその子にもわれにも明日よきことあらん  舟橋剛二

自分とは違う自分になれる場所ビルばっかりの東京に来た  舟橋剛二

(みずみずしく、若々しいですね。)

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あらしのあと馬鹿がさかなうりに来る  放哉

(それだけのこと、解釈いろいろになりそうですが、私はこのような句が好きです。自分を重ねて自嘲的な句だとかではなく、それもありかな。そんな読み方をすると楽しいですね。)

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怨みあれどそれでも救う菩薩あり  あきオジ

2011-05-22 05:32:45 | 日記
神代植物公園の薔薇です。

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両手をいれものにして木の実をむらふ  放哉

女に捨てられたうす雪の夜の街灯   放哉

(ある意味では、放哉の俳句は、高慢で世俗的な時代を経て、変遷して自分から抜け出す過程を発見する楽しみなのですね。難しいことは分かりませんが、心の軌跡がどうであるかなどという冷たい視線ではなく、何となく脱皮してしまった放哉を知りたいのですね。)

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「こころの時代」

「ようがす、引ぐ受げだ」というタイトルが大震災を受け入れる東北の人の豊かさを象徴していますね。
陸前高田で医師をしている山浦玄嗣のケセン語訳聖書、それを出版する印刷会社の経営者の話が心に沁みました。
東北に人独特の「うらみごと」を言わず、淡々と人生に立ち向かう姿に感動しました。世の中には、こんな素敵な人がいるのだなと思いました。
いいですね。人生をこのような奥行きのある深いものにしてくだいました。感謝です。
そんな人をあぶり出すように見せてくれた震災でした。
そして、このような人の中に美しさがしっかり根付いていることを発見させてくれました。

岩手県で生活していたとき、東北人の温かさに感動したことがあります。
そんなことを思い出しました。

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ときおえて散りゆく薔薇のうらおもて  あきオジ

2011-05-22 05:18:47 | 日記
神代植物公園の薔薇です。

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笑うしかないと念おす老婆あり  あきオジ

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育ててくれた野は山は若葉  山頭火

ふるさとの言葉のなかにすわる  山頭火

(山頭火を芭蕉と対比して評論するの本がありましたが、基準線が一つというのもいかがなものかと思いました。比較して何かを評価するのも大切なことなのでしょうが、まぬけな感じがしました。でも、それも楽しいゲームだと思えばいいのかな。)

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