あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

まだら雪残りし津軽の五月なり  あきオジ

2011-05-23 21:12:31 | 日記
昭和記念公園のポピーです。

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盗人にとり残されし窓の月  良寛

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朝日俳壇のページで、俳句らしい俳句ができない時代というコラムを読みました。
書いた人は忘れました。
そのコラムはそのような批判もあるけれど、見渡せば時代をそして季節を象徴する
季語はいくらでも発見できる。今だって十分に発見がある。そんな内容でした。

何か面白いことを書いているのかなと思いましたが
小学生の作文のような内容でがっかりです。
このようなコラムを書く人しか人材はいないのですね。

季語で象徴させていたことを別のもので置き換える
そんな発想かなと思ったのですが
そうでもないようでした。

自然と調和して生きてきた時代の雰囲気を失った今
地方ならいざ知らず都会では、「探して見れば」などとい消極的な説明では支えになりません。
圧倒的なエネルギーを噴出さるような発想や形式が生まれませんかね。

時代は天才をもとめているのですね。

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黒玉をつまみ飛び立つ鴉かな   あきオジ

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段重ねひろがるポピーの赤き花   あきオジ

2011-05-23 20:59:07 | 日記
昭和記念公園のポピーです。
今年はこれでおしまいですね。
そして秋のコスモスの準備に入るのですね。
追われるように人生を走っている。
そんなこと求められているわけではないのに
急いでいます。
とても、おかしいことですが
それが現実なのですね。

ゆったり時間を過ごせる。
これが老人の極意であり
達人の心境でしょうね。

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山吹や先(まず)御先へととぶ蛙(かわず)  一茶

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憐れなる音させて咲く桔梗かな  あきオジ

(もう桔梗の季節ですね。花の追っかけをしていると一年が突き抜けるように回ります。それでいいような急ぎ過ぎているような気もします。)

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凛とした菖蒲が並ぶ朝になり  あきオジ

2011-05-23 20:47:03 | 日記
昭和記念公園

雨ふるふるさとははだしであるく  山頭火

(この句、何ども取りあげましたね。ということは、これは私にとっての山頭火の代表句です。そんなでたらめさは、好き勝手を大切にする私の特権でしょう。それほど大事でもありませんがね。それにしても、誰にも作れそうで作れないのが魅力ですね。個性とはそんなものかもしれませんね。)

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「おらが春」 西田敏行主演

テレビドラマです。
一茶を主人公にした田辺聖子の小説をドラマ化したものです。
ドラマとしてどうか分かりませんが
一茶を知るうえで参考になりました。
特に江戸時代の俳句の社会的地位
そして流行などを知ることができました。

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夏草のホームに残りし老婆かな  あきオジ

2011-05-23 06:00:52 | 日記
昭和記念公園
広場のシンボルツリーです。
いつ見ても広場のあるじという風格がありますね。

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年よりや月見るにもナムアミダ  一茶

かつしかや月さす家は下水端  一茶

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そろそろ雨の多き季節に入りますね。
そして、今年も猛暑になるのでしょうか。
「何とかなる」だけではすまない季節になるのでしょうか。

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薔薇溢れ緑の道に入りこみ  あきオジ

2011-05-23 05:47:18 | 日記
昭和記念公園のポピーです。

薔薇、そしてポピーと続くと
濃厚な料理を食べ続けているような感じになります。
そんなことで、高い木が多い道を歩きます。
「ほっとする」というのでしょうか、気分がなごむのですね。

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寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす  山頭火

(こんな素朴で何もない境地は今の時代にあってはありそうでありませんね。せかせかしている人も多いし、いい人を演じるために懸命に動き回り、お付き合いを続ける人も多いですね。どうも、馴染めませんね。)

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緑あふれ蕎麦屋込み合う深大寺  あきオジ

2011-05-23 05:32:00 | 日記
昭和記念公園のポピーです。
見ごろ終りですね。
午後からは人がどっと入ってきました。

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傘(からかさ)のにほうてもどるあつさかな  建部涼袋

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「煙突の見える場所」五所平之助監督

時代を丁寧に描いた映画です。見るチャンスがなく
放映されるのを楽しみにしていました。

戦後の東京を知る文化財的な映画ですね。
経済観念とか道徳観などを教えてくれます。
それにしても、私の記憶にある生活が思い出されます。

そんな時代を生きたのですから
十分に長生きしているのですね。