あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

麦の穂がなびく畔もくずれさり  あきオジ

2011-05-15 18:45:52 | 日記
バラ展(西武球場)

物乞ふ家もなくなり山には雲  山頭火

(善意に解釈すればいくらでも感情移入できる。それが俳句の世界であり、最初から予断があれば、不十分さを指摘できるのも俳句の世界であるような気がします。ですから、結社の例会などでは、もの分かりのいい仲間のいたわり合いが始まってしまうのですね。それでもサロンですからいいのでしょうね。難しく考えることはないのですね。)

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オペラ嫌いを乗り越え
楽しめるようになること

本を読むことを楽しみにすること

それが生活のリズムになったら
なんと楽しいことでしょうか。

でも、受身の楽しみでは不十分です。
下手でもなんでもいいから
生み出すこと
自分を表現する方法をもたなくては
不十分であると思うのです。

まあ、ぼちぼちということです。

駅裏の「讃岐うどん」に灯が入り  あきオジ

2011-05-15 18:28:50 | 日記
バラ展(西武球場)

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あだし野に行きあたりたる花野かな  蕪村

(自然と融和した時代の気分が好きですね。私はゴルフをしません。飛行機で日本上空から地上を見たとき、無残に切り刻まれたゴルフ場の多さに唖然としたときからゴルフ場を愚かな遊びと思うようになってしまいました。自然を謳う俳句をつくるための吟行などという人がゴルフをするなど、「違う」と思ってから、こだわるようになったのですね。そんなことどうでもいいことなのですが、そう思ってから思考が停止したのです。もう、江戸時代の俳句の時代とは自然のありかたが変質してしまっているのです。当然、季語などというは遺物に過ぎなくなってしまっています。逆に季語は俳句を貧しくしてしまったのでしょうね。)

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遅き日のつもりて遠きむかしかな  蕪村

(蕪村を追うことは芭蕉より面白いような気がしています。どうなのでしょうかね。とにかくゆったり休まず追っかけしましょう。誰でもいい。追いかけていくうちにまったく違う世界が見えるような気がします。)

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薫風を切り裂きすすむ新入生  あきオジ

2011-05-15 18:15:03 | 日記
バラ展

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朝がほや一輪深き淵の色  蕪村

明(あけ)ぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉

(ときには名句中の名句を並べてきちんと鑑賞するのもいいかもしれません。)

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若冲の特集番組を見て、こんな夢中になれる人がいたのだと思うと嬉しくなりましたね。
北斎もそうですが江戸時代はそんな人を輩出するエネルギーが充満していたのですね。

今の時代、精神文化まで緊縮を求める傾向にあります。
まあ、そんな時代に生きているのですから不満もありません。

大震災はありましたが、理不尽な戦争がないだけでも幸運でした。

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小雨降るあじさいどおりに雨蛙    あきオジ

2011-05-15 07:36:31 | 日記
バラ展(西武球場)

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あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る  放哉

(どちらが馬鹿か、自嘲の句でしょうか。それとも「まあまあ」という軽い句でしょうか。放哉は冗談を言えるほどの柔軟性があるとも思えません。ですから、そうなのでしょうかね。でも、気になりますので、とりあえず取りあげます。「

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俳句には俳号をつけたら仲間であるとか、業界用語があるとか、ないとか。でも、馴染みサロンの雰囲気を楽しむとか、それもいいかも。それに、伝統芸能のように、季語がるとかないとか、二重季語は禁止だとか、きれ字とか、かいろいろありそうだし、そのしばりを伝統芸能のように楽しむこともあるのですね。それぞれの世界にそれぞれの奇妙さとゆかしさがあり、奥行きが深いのですね。もちろん、私は素人の場所から離れず、技巧をもとめず、仲間を求めず、推敲など考えず、作りっぱなしで十分です。

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逃げ場なくいっきに迫る積乱雲  あきオジ

2011-05-15 07:25:43 | 日記
バラ展(西武球場)

大空のました帽子かぶらず  放哉

(いまのところ放哉の句にしては異質であるようにも思えるのですが、この句が好きです。もちろん、理由などありません。案外、取りあげた回数も多かったかもしれません。気に入るというのは繰り返すことです。自分で勝手にそう思っています。)

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録画しておいたものを見る機会でもあります。
散歩から帰ったら楽しみます。
「在外秘宝」で写楽を取りあげた作品が面白かったので見直します。
それと若沖を再放送しますのでそれをしっかり録画します。

そんなことでどうでもいい楽しみを大切にすると
忙しいのですね。
なくても困らないのですが
ないと淋しいのです。

何もない不安に耐えられると言い切れる程になっていないのです。

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気がつけば隣りのおやじ餅わける  あきオジ

2011-05-15 07:03:42 | 日記
昭和記念公園

鼻かんで捨て去るがごとし初夏の歌  あきオジ

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何かが見える。
何かがありそう。
そんな俳句が好きです。
かっちり破綻もなく納まっている
そんな句は大の苦手です。

季語に助けられている句も好きではありません。

でも、そのうちどんでんがえしが来るかもしれませんね。
人は分からないものです。

「脱皮」それが人間の育ち方
徐々になどとは違いますね。

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母を負うて来て冬日の縁に据ゑる  井泉水

月光ほろほろ風鈴に戯れ  井泉水

(井泉水の句もいいなと思うようになりました。ひとつ楽しみが増えました。でも、だんだん広がってしまって、帰り道が分からなくなってしまいました。思えば人生はかえり道がないようなものですね。進むしかない。それもいいかも、流れを見つめるだけで座り込んでしまうのもいいかもしれませんね。)