あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

傘の列寡黙のままに流れゆき  あきオジ

2011-05-27 17:35:31 | 日記
神代植物公園です。
「さつき」の展示会が開かれていました。
相変わらず盛んなのでしょうか
それとも愛好家は急激に減っているのでしょうか。
でも、終焉ではなさそうです。
浮かんだり沈んだりしながら
生き続けるのですね。
これが日本人の死生観にもつながるのでしょうね。

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リンリンと凧上りけり青田原  一茶

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明日は台風の影響で天気は不安定だとか。
人が生きている限り理不尽な災害や事故がないのが不思議なのですね。
いままで幸運過ぎました。
どこかで「このままではいけない」ことが起きるのです。

不幸な生い立ちの人間が幸福を掴むと
「こんなはずではない」
「こんなことがあっていいはずがない」と思いつめて
不安になるのと同じかもしれませんね。

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しずかなる梵鐘のした猫眠る  あきオジ

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芍薬が揺れる風のたよりなき  あきオジ

2011-05-27 17:32:17 | 日記
神代植物公園です。
雨がパラパラしましたが
せっかくなので出かけました。
薔薇は雨に打たれるといけませんね。

それでも薔薇を楽しむ人がいっぱいいる風景はいいですね。

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野火つけてはらばふて見る男哉  一茶

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ベニシアさんの生活を紹介する番組を見ています。
その中に職人さんが登場します。
そのような番組作りをしているにしても
職人さんのこだわりを聞いていると
日本の文化はこのような人によって支えられているのだなと思います。

文化人ではなく
職人が底辺を支えているのはいいですね。

日本の力は庶民の底力であることを感じますね。

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放哉が「牛肉を食いたいので送金せよ」と言われて
あわてて金を送る人の腹の中は
「最初からかかわらなければよかった。いいかっこしようとしたのが間違いだった・」ということなのでしょうかね。
才能ある人に対してであっても無限の善意は維持できないものです。

でも周囲の迷惑を考えないで病気の俳人を敬愛し
生活の面倒を見るのは当然であるという
勘違いも、そこまでいけば立派ですね。

小心者の私は、兄弟弟子のみなさんに「ご苦労様です」と言いたいですね。

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芍薬幽かにみゆる塀の内  あきオジ

2011-05-27 17:28:41 | 日記
神代植物公園の春の終わり、そして夏の始まりですね。
蕪村の芍薬のイメージ何となく見えてきたような気がします。
それだけでもけっこう楽しいものですね。

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夏草より煙突生え抜け権力絶つ  兜太

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俳句人口300万、短歌人口30万、詩の人口は3万だとか
どのような根拠なのか分かりませんが
伊藤園が募集した俳句は130万を越えたとかいう話もあります。

詠み手が多く読み手が少ないという話もありました。
これって笑えることですね。
私も俳句もどきを作るのはそこそこ苦にしないですが
人の句を読むのは苦手です。

今は名句に馴れる段階ですが
願わくば、そんなこともしたくないですね。

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雨降りを昨日もみていた記憶あり  あきオジ 

2011-05-27 05:22:56 | 日記
昭和記念公園です。

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彦星のにこにこ見ゆる木間哉  一茶

花ちるや末代無智の凡夫衆  一茶

(一茶も好々爺とは程遠い人のように思えます。化けるまでの日々は、金に対する異様な執着、野良仕事をせず、好色おやじでありました。子煩悩なのに次々失ってしまうこともありましたが、決して、やせ蛙を応援しているおじさんだけではなかったのですね。そこが面白いですね。化けてからは、素人でも面白いと感じるくもありますし、楽しいですね。きっと、支援者だった夏目成美などもその面白さはいつか化けると思っていたのかもしれません。人とは分からないものです。でも、化けた人は、決して止めなかった人ですね。)

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フォーレのピアノ五重奏曲
レコードがあったのだ。
そんな感じで、聞いていました。
このような曲を気に入っていた時代があったのですね。
そして、レコードを買うことができた時代があったのですね。

自分であってそうでないみたい。

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夕暮れて道とぎれとぎれになりにけり  あきオジ

2011-05-27 05:08:28 | 日記
昭和記念公園です。


俳句はパクリが基本なのでしょうかね。
下敷となる古典的なものがあったり
表現形式がったり
結社のルールというかスタイルがあったりするのですね。
みんなで寄りかかっているのか
それは個人で違うのでしょうが
形式をつきやぶらないとなると
やはり、どこかで読んだり
似ているものばかりで溢れてしまうのですね。

私の大部分はパクリです。
放哉の句を読めば
影響されるし
山頭火を読めば真似して作るし
兜太のスタイルで句を楽しんだりし
節操もなければ主張もありません。

真似て俳句を楽しむ
俳句でなくても、言葉で遊んでいる
それでいいのです。

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人間に狐ぶつかる春の谷  兜太

(馴れてしまうと、兜太の句も、この程度なら刺激を感じませんね。兜太は語調においても現代を表現してほしいですね。漢文調というか語調が生のままですね。やはり、リズムが美しくないと響いてこないですね。素人の生意気なもの言いですね。すいません。)

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帰り道みあたらぬ夏野かな  あきオジ

2011-05-27 04:52:04 | 日記
昭和記念公園です。
すっかり夏の色ですね。

「朱夏」を感じるのは、もうすぐですね。
去年の猛暑が昨日のようです。

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すっかり病人になつて柳の糸が吹かれている  放哉

(最近、放哉ブームなのか、この程度なのか分かりませんが、その後、ポスト放哉を聞きませんから、停滞しているのでしょうか。元気な兜太が評価されたり支持されているのならそれはそれで面白いのですが、あまり関心はありません。)

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それにしても放哉の態度の傲慢さ、そして際限ない知人への無心など「孤独」「病弱」を商品にしている俳人に過ぎないという見方もありますが、周囲にいない人だから商品になるのですね。聖人のような俳人だとすればどうなのでしょうか。それはそれで面白いでしょうが、泥臭いいやらしさに人は引かれるものですね。)

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