あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

人あればそれぞれに雨が降り  あきオジ

2011-05-20 22:00:24 | 日記
昭和記念公園

行く雲や霰ふりやむ寺林  飯田蛇笏

墓に木を植ゑたる夢も初秋かな  飯田蛇笏

(やはり俳句の世界は閉塞状態で、芸術ではなく伝統芸能になっていると思うのです。私にとって、それで十分で、不満はありません。挑戦するつもりも、乗り越えるエネルギーもありませんからね。私が思うに、。芸術とは形式の克服なのですね。そんなことから俳句を考えてみると、伝統的な約束事を後生大切にして、身動きできなでいる。それでいいのでしょう。きっと、そうでしょう。でも、元気者がいて、形式をぶち破ろうとしていると面白いのですが、どうなのでしょうか。圧倒的なエネルギーがないのですね。底あげするだけの力が無いのです。こんなつまらない形式なら、フォークやポップスの歌詞の方がはるかに魅力的です。ビタミン剤のようなものではなく、腹いっぱいのステーキを食べたいですね。どなたか、目の覚めるような刺激を与えてくれる俳人はいませんかね。教えて下さい。いつか、手を伸ばしていきたいです。)

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梅雨入りが気にる屋根のつばめ哉  あきオジ

2011-05-20 21:41:58 | 日記
バラ展で見つけた向日葵です。

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写真とつて歩く少し風ある風景  放哉

児をおぶつてお嫁さんの顔見に出る  放哉

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アメリカ大統領がテロ犯人を殺害したことと「正義の勝利である」などと小学生でも言わないことをいってはしゃいでいる。
政治音痴の私には、そのような論理の展開は、よく分かりません。
アメリカの正義は敵対する国にとっては正義ではないのです。
相対的な正義は勝利する側にとって正当化される。
それは自明なことであるような気がします。
だいたい、国が謝罪するなどあり得ません。
国家は人格をもたないからです。

そんな歴史観を大人の教養ある人ならだれでももっていると思うのですが
そうでもないのでしょうか。
ご苦労様です。
やはり、政治と宗教には口を出さないことがよろしいようです。

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正義とは商売道具梅雨に入る  あきオジ

2011-05-20 21:30:39 | 日記
バラ展です。
もう、終わりましたね。

菖蒲の季節ですね。
明日、天気がよければ出かけましょうか。

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死を前にやぶれたる足袋をぬぐ  山頭火

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東電を悪者にして袋叩きとは大人げない。
そんな発育不全の教養人がどうしてこんなに溢れているのだろうか。
でも、そんなことを言うまい。

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夏雲やホームで待つは行商人  あきオジ

2011-05-20 05:52:32 | 日記
神代植物公園です。

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我がまへに雲行く影やころもがえ  夏目成美

銭臭き人にあふ夜はおぼろなり  夏目成美

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今日は金曜日。
仕事に出かけますが、週末
ちょっとだけ解放された気分になりますね。

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目の充血が取れたら
また泳ぎたい気分です。
でも、それまで辛抱辛抱。

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窓開けて薔薇の香放つやるせなさ あきオジ

2011-05-20 05:40:49 | 日記
神代植物公園です。
バラも今週末で終わりですね。
今年は西武球場のバラ展に二度出かけたので
植物園には一度しか出かけませんでした。
でも、バラを目でいっぱいいただきました。
ごちそうさまでした。

神代植物公園の芍薬はどうなのでしょうかね。

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地車のとどろとひびく牡丹かな  蕪村

愁いつつ岡にのぼれば花いばら  蕪村

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さわやかウインドーという
映像と音楽だけの番組があり
朝はもっぱらその番組を見ています。

そしてクラシック倶楽部という音楽番組を聞いています。
流しているだけで聞くでもなく
そんな感じがいいですね。

今日は宮崎県の椎葉村を映していました。
農作業の休憩時間
じいちゃんばあちゃんが持参したおにぎりを食べていました。
そんな風景も消えていくのですね。
時代の移り変わりなのですね。

いい時代に生きてきました。

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流れゆく雲に重なり虹がたつ  あきオジ

2011-05-20 05:22:36 | 日記
神代植物公園です。
ときどき、山野草が咲いていたり意外なことも発見できます。
山野草の道を歩くのが好きな人も多いですね。

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遠く其顔人の顔消えて風吹く  井泉水

旅のはろばろ夕焼けてあれは淡路か  井泉水

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「無法松の一生」(稲垣浩監督)
日本人の恋愛の定型の一つ「純愛」「忍ぶ恋」とでもいうのでしょうか。
思わず、いじらしさに涙してしまいます。
西欧にはあまり存在しないかもしれませんが、日本人はこのような恋愛の形の小説などが好きですね。
私も「小説の中の世界」であることを前提にして、これもあっていいかななどと思っています。
当事者はそれはそれは大変でしょうが、美しさがありますね。
そんなこともあって繰り返し見てしまいます。
でも、小説の話であっても松五郎の熱い視線に気づかないとすれば吉岡夫人は鈍感な人ですね。
それでは、単なる通俗小説で、面白くもなんともありませんね。

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