あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

踊る人踊らされたる夏まつり  あきオジ

2011-08-28 06:37:44 | 日記
月見せよ玉江の蘆を刈らぬ先  芭蕉

いざよひもまだ更科の郡哉  芭蕉

鎖あけて月さし入よ浮み堂  芭蕉

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芭蕉の句は虚構である。だから、美しい。そんな評論をする人もいっぱいいるのでしょうね。でも、俳句を目指す人は自然観察をあれこれいうのでしょうね。でも、素人の私があれこれいう必要もないことですが、換骨奪胎した虚構だから美しいのですね。最近、そんなことばかり考えています。小説だって、自然主義文学だけだったら退屈なだけですね。

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よさこいの音色這い出す鎮守かな   あきオジ

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凛として熱気を奪う女子大生  あきオジ

2011-08-27 19:23:17 | 日記
原宿も今日はイベント一色でした。

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月いづこ鐘はしづみて海の底  芭蕉

(ドビッシーのピアノ曲に同じような趣向があったことを思い出しました。いや、それだけの話です。)

入月の跡は机の四隅哉  芭蕉

声すみて北斗にひびく砧哉  芭蕉

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段々外に出て行く熱意が薄くなっていくのが分かります。
これが年をとるということなのですね。

乱舞する男と女の夏終わる  あきオジ

2011-08-27 19:13:35 | 日記
原宿のよさこいソーラン
昼近くになり
日がさすようになり
人が溢れてきました。

こんな人が集まるところに出かけれれるのは
あと何回でしょうかね。

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くりやまで月かげの一人で  山頭火

雨ふるふるさとははだしであるく  山頭火

ぬくい日のまだ食べるものはある  山頭火

雪ふる一人一人ゆく  山頭火

(単純明快、そして伏線など準備しない。だからインパクトがあるのですね。)

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轟音が弾ける森も月夜なり  あきオジ

2011-08-27 18:58:22 | 日記
原宿の「よさこいソーラン」です。
次々登場する団体も様々
でも、同窓会のような
何か温かい感じがします。

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草いきれ人死に居ると札の立   蕪村

寂寞と昼間を鮓のなれ加減  蕪村

秋立や素湯香しき施薬院  蕪村

(どれも空気が感じられていいですね。)

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真面目さは俳句にならぬ秋の空  あきオジ

2011-08-27 06:16:45 | 日記
昭和記念公園の桔梗です。

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きくの露落て拾へばぬかごかな  芭蕉

稲こきの姥もめでたし菊の花  芭蕉

草の後大根の外更になし  芭蕉

(芭蕉の句を読んでいると、現代の俳人が目指しているものが見えてくるような気がします。現代を代表する俳人(まったく思いつきませんが・・・・)の誰もが芭蕉を評価し、その精神を踏襲しようとしているのでしょうね。ですから、新聞等の俳壇でも一般俳人は、孫と病気、そして戦争を芭蕉風に観察し、技巧をこらす。そんなスタイルで「何年も推敲している」ことを味付けにするようになるのですね。それでいいのでしょうが、私のような素人には退屈で、どれがどうなのかさっぱりわからず、季語だけで十分ということになってしまいます。やれやら、同じことばかり言っているようですね。年をとると、言ったことを忘れるのです。)

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桔梗さくグローブに似て青ざめて   あきオジ


女郎花近松浄瑠璃過ぎてゆき  あきオジ

2011-08-27 06:06:08 | 日記
昭和記念公園でも秋の七草が咲き始めています。

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雨の中泥手を洗う  放哉

静かなる一つのうきが引かれる  放哉

障子に近く蘆枯るる風音  放哉

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山頭火、放哉の選んだ出家という形はいまでもあるのでしょうか。
宗教団体にそのような許容性が残っているとは思われません。
それでも、俳句にすがり、短歌に生きるしかない人が埋もれている。
そう思うことも楽しいですね。
金に余裕がある人たちがわび、さびなどと騒いで
吟行に出かけたり、疑似体験をするのも楽しいですが、
ちょっと気恥かしい。

でも、それが時代の風潮なのでしょうね。


夕立ちを漫画でよける交差点  あきオジ

2011-08-26 18:01:00 | 日記
昭和記念公園の日本庭園です。

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冬の村無韻の水瀬つらぬきて  飯田龍太

(正直なところ、誰の句なのかまったくわからないまま、拾っています。それぞれの個性など分かるはずもありません。ただ、馴れないと個性も見えてこないのではないかという涙ぐましい努力なのです。これではっとするような句があればいいのですがね。現在ところ素人には無理ですね。)

耳そばだてて雪原を遠く見る  飯田龍太

満月の秋到らんと音絶えし  飯田龍太

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ときとして、俳句は、文人としての名句とか、学者の余技としては十分に、そんな説明が必要な世界らしいですね。素人が深入りするといけませんね。何か、お茶の師匠にいたる免許状制度に似た不思議なシステムがありそうです。以前にも書きましたが、俳人としてのランクによって掲載される活字の大きさとか、掲載句数まで違っているのですね。だから、成り立っている世界なのかもしれません。句会、吟行、サロン的な面白さに惹かれますが遠慮しましょう。そんな情熱はあり

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込み合いし丸亀うどんにさそわれて   あきオジ

2011-08-26 17:52:29 | 日記
昭和記念公園のサギ草です。

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盗人にとり残されし窓の月  良寛

(良寛でも、こんな仕込みが見える句を作るのでしょうかね。これを良寛らしいと評する人もいるのですから、読み方いろいろなのでしょうね。)

いくつれか鷺の飛びゆく秋の暮れ  良寛

いざさらば我も返らん秋の暮  良寛

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良寛という人はよく分からない人ですね。
善意の評伝ばかりで、実像を見えにくくしていますね。
意地悪く見ようとするのではなく、ありのままの良寛を感じたいだけなのです。

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日焼け顔プールをせがむ親も子も  あきオジ

2011-08-26 17:42:26 | 日記
昭和記念公園の売店
夏のなごりの水遊びの小道具です。

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ほんによかつた夕立の水音がそこそこ  山頭火

うれてはおちる実をひろふ  山頭火

月夜、あるだけの米をとぐ  山頭火

(この時代の人間関係はよく分かりませんね。師弟関係であったり、俳人の仲間の先輩後輩、そんな関係が生活にまで関わってきます。放哉のように善意の仲間に無心するのは当然のことだったのかもしれません。それは石川啄木でも同じです。)

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