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2021 9/4の拝観報告(ここは円町、圓のまち!妖怪堂店主と辿る、京都のキワに潜む異界伝説)


写真は、市五郎大明神(裏山は御土居遺構)。

土曜日です。
この日は本来別のコースを申し込んでいたのですが、コロナで中止。
あまりにヒマなので、こちらのコースを申し込んでみました。

西大路丸太町=円町。
決して西大路丸太町とは言いませんよね。
なぜ円町なのか?

今回分かりました。
この辺り、平安時代から監獄があり「右獄」と呼ばれていました。
「人」を「囲う」と「囚」ですが、「複数の人間=員」を「囲う」と、
「圓」になる訳です。
なので、圓町から円町となったわけです。

さらに秀吉が造った御土居です。
御土居の西側には「袖」=西に少し飛び出した部分があります。
これがちょうど右獄のエリアで、これを洛中に入れて管理するために
ここだけ西に飛び出しているんだそうです。

14:00に円町駅に集合。
少し北に歩きます。
中保町で、北野天満宮七保社のうち四番目に当る四之保社の跡。
北野中学の敷地内にある御土居遺構を外から(ちょうど袖の北角の部分が残っています)。
円町交差点辺りに右獄があったそうです。
さらに南下し、 
太子道を少し西に入ったところに壺井。
これは右獄を出た囚人が市中引き回しで新町松原あたりまで行った後、ここに戻ってきて、末期の水をこの井戸で飲んだそうです。
そして西大路通まで戻り、 
西大路太子道の北東角辺りの川と道に挟まれた三角地帯に刑場があり、
そこで打ち首になったそうです。

西大路通から1本東の西土居通を南下。
御池通の北側にあるのが、上の写真の市五郎大明神。
こちらは御土居を壊そうとしたら祟りがあり、それを鎮めるために神社を作ったとの言い伝えがあります。

そのまま三条通まで下ったところ、三条通の東西に昔は西高瀬川があったそうです。

そして西へルートを変えて、案内人さんが経営する妖怪堂を経て、
春日神社を裏手に抜けて、西院の北西付近へ。
戦国時代にはここに小泉城という城郭があったそうです。

最後は西院の北東角の高山寺へ。
ここは第53代淳和天皇の後院、淳和院があった場所です。
淳和院=西院とも呼んだので、江戸時代の第111代後西天皇はいわば「後淳和天皇」ってことなんですよねw

16:30頃に終了。
たまに雨のちらつく天気で、特にレアな場所に行けるというツアーでもなかったですが、この辺りの歴史やいわれについて勉強出来ました。
この日はこれで終了し、帰宅しました。
 
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