西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

多坐弥志理都比古神社

2017-09-08 22:01:09 | 神社 古代

多神社。正確には、多坐弥志理都比古神社(おおにますやしりつひこじんじゃ)。「古事記」の撰録者とされる太安麻呂は有力氏族・多氏だったとされ、その多氏ゆかりの神社。

その太安麻呂の存在を疑問視する見方も以前はありましたが、名前が刻まれた墓誌が見つかったことで、実在はほぼほぼ決定視されています。春頃に訪れた賣太神社に次いでの「古事記」ゆかりの神社と意気込んで行ったのですが、なんか”休み”の感じでした。”休み”という表現も失礼ですが、なんていうか、まあ、やっていませんでした(笑)。

拝殿の側に絵馬とかも結ばれていたので、やっている時もあるんでしょうけど。有名な四殿配置の社殿も何処にあるのか解らず。後で調べたら後ろの方にあったみたいですが、誰もいらっしゃらない境内をウロウロする厚かましさも無く、早々に。全国いろいろな神社を巡っていると、そういうこともあります。

ご縁が無かったのでしょう。


日本武尊白鳥陵

2017-09-08 06:54:25 | 神社 古代

日本武尊白鳥陵(やまとたけるのみことしらとりりょう)です。素戔嗚と同じくらいにメジャーな日本武尊の御陵は以下の3箇所にあります。亡くなった三重県亀山市(能褒野王塚古墳)。白鳥になって大和へ向かって飛び立ち、舞い降りた場所が、ここ奈良県御所市富田(琴弾原)。再び飛び立ち、最後に降り立ったのが大阪府羽曳野市(白鳥陵古墳)。その後、何処ともなく飛び立って行ってしまったと「古事記」にあるので、基本的にお墓は無いはずですが、この近辺にある「掖上鑵子塚古墳」が日本武尊の本当の御陵だという説、いやいや、これは武内宿禰の御陵だという説、まあ、いろいろあります。

人知れず、ひっそりとそこに有るという感じでした。悲劇のヒーローですから。

大和は国のまほろば たたなずく青垣   山ごもれる   大和しうるわし

大和に帰りたかったのでしょう。