箸墓古墳。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と治定されています。二度目です。
随分前から、卑弥呼の墓説というのがあります。昨年訪れた時、僕の中では”邪馬台国は九州”だったのですが、ここ半年で”邪馬台国は畿内”に変わりつつあります。箸墓古墳については、台与(卑弥呼の後継者)の墓説も聞いたことがあるな。台与(とよ)→豊鍬入姫→豊受?古代史に付いては、いろいろな仮説を楽しめれば良いと思うので、絶対これだっていう風に決めつける気はサラサラ無いのですが、ぼや~っとした流れは自分の中で出来つつあります。「魏志倭人伝」の中で、”卑弥呼は長大”と書かれている。”長大”というのは、成人を表す場合と老齢を表す場合がありますが、仮に卑弥呼の墓だったとしても、後者だと卑弥呼はおばあちゃんだったことになり、妖艶の美女では無く、少し残念ですな。
247年3月24日と、248年9月5日に日食があった事が解っており、恐らくその時、日の巫女であった彼女に何等かの出来事があったのでしょう。
卑弥呼であれ、○○姫であれ、女性の陵墓であることはほぼ間違いない。箸墓古墳、側で見ると大きいですよ。日本書紀では、箸墓古墳について「昼は人が造り、夜は神が造った。」と書かれています。その位に、民が昼夜を通して総出で造ったということなのでしょう。それだけ、人々に敬愛されいた、或いは何かの犠牲になった女性(ひと)が埋葬されているということなんでしょう。この前に立つと、何かの為に犠牲になった方という感じを受けるんだよな~。