ドビュッシー: 歌劇「ペレアスとメリザンド」 (原作:メーテルリンク)
指揮:フィリップ・ジョルダン、演出:ロバート・ウイルソン
ステファヌ・テグー(ペレアス)、エレナ・ツァラゴワ(メリザンド)、ヴァンサン・ル・テクシエ(ゴロー)、フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(アルケル)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(ジュヌヴィエーヴ)、ジェリー・マトヴェ(イニョルド)、ジェローム・ヴァルニエ(医師)
2012年3月 パリ・オペラ座バスティーユ 2012年5月NHK BS 放送録画
これは傑出した公演である。演出にはかなり驚くところもあるけれど。
全体にブルーの濃淡の、ほとんど照明のみで最小限の舞台装置、つまり塔に見立てたものとか、寝台とかだけ、というシンプルな環境、登場人物の多くは短髪で極端な白塗り、そして体の動きも最小限、そう明らかに「能」にヒントを得たものにちがいない。
この作品は、じっくり録音だけ聴いていてもいいし、コンサート形式でも十分味わえると思っていたから、こういう演出は納得するし、むしろ効果的だった。
思い切りは、たとえばメリザンドの髪は意味を持っていて、有名な塔の場面でほどいて長くするのかと思っていたら、それはそのまま、ペレアスとは離れたまま、歌で観客は想像の世界に飛んでいく。あのゴローが息子を担いで二人が何をやっているかのぞかせる場面だって、観客にも何も見えず、音楽だけで理解するわけだから、これでもいいといえばいいのである。
これまでメリザンドはこの薄明の中、力が衰えていく王国の城の中で、ひっそりとした不幸な存在というイメージがあったが、今回こうしてみると、彼女はゴロー、ペレアスにとって文字どおりファム・ファタルである。この演出で、衣装、動作、そしてそれに見事にこたえているツァラゴワの歌唱・演技から伝わってくる。オッターは多分マルチ・リンガだからこの中でおそらくロシア系の彼女だけがフランス語を母国語としていないのだろうが、違和感はなくむしろ強さを感じる。
フィリップ・ジョルダンという指揮者はまだ若いが、自信に満ちていて、えてして微妙なニュアンスのことを言われる(特にブーレーズの解釈が出る前には)ドビュッシーの音楽を、この演出にも似合ったつまり表現主義の、強いものとして見事に実現している。もしや?と調べたら、アルミン・ジョルダンの息子とか。まだ30代だがこの夏にはバイロイトで「パルシファル」を振るようだ。
他の歌手もよい。ところでフランス語というのは意外にオペラで音楽との相性がいいようで、今回も聴きやすかった。ドビュッシーだからとも考えたが、最近いくつか見たロッシーニのフランス語オペラでもそれは感じる。
ただ、最後のメリザンド臨終の場面、息を引き取って? 音楽が終わるとともに暗転する直前のあの演出は何なのだろうか?(ネタバレになるので具体的には言わない方がいい?)
やはりファム・ファタル?