歌劇「エフゲニー・オネーギン」: チャイコフスキー
指揮:ワレリー・ゲルギエフ、演出:ロバート・カーセン
ルネ・フレミング(タチヤーナ)、ディミトリ・ホヴォロストフスキー(オネーギン)、エレーナ・ザレンバ(タチヤーナの妹オリガ)、ラモン・ヴァルガス(レンスキー)
2007年2月24日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、 2012年6月 WOWOW放送録画
一度か二度、映像で見たことはあるはずだが、かなり以前でよく覚えてはいない。今回こうしてみてみると、本当にプーシキンの原作かと思うほど、話の筋や構成はものたりない。あとで調べてみたら、ずいぶん省略があったようだ。
ロシアの田舎の多分貴族が住んでいるところ、娘のタチヤーナは訪ねてきた二人の男のうちオネーギンに夢中になるが、二人ともどちらかというと妹のオリガがめあてで、もう一人のレンスキーは彼女と恋仲になる。タチヤーナはオネーギンに手紙を書く(有名な手紙の場)。しかしオネーギンはそれを彼女の若さのゆえと諭して去る。
このあとが問題で、オネーギンは当時のロシアの小説によく登場する「ふさぎの虫」というか、いつまでも集中できるものを持てない、しかし男前というだけである。そして気まぐれにオリガに手をだしてレンスキーと決闘になり相手を殺してしまう。そうなると、そのあとに主たる登場人物の豊かな感情を期待できない状態をきたしてしまう。決闘の後、すぐにあの有名なダンスの旋律が再び出てくるのは、狙った虚しさだろうか。
老侯爵と結婚しているタチヤーナを今度は好きになっていいよるが、当然これは無理なことは観客にもわかっている。
それでもチャイコフスキーの音楽は美しい旋律と的確なリズムでよくできている。望むらくはもっと大きな振幅を感じさせるものがほしいけれど。
タチヤーナのルネ・フレミングはいつもより感情移入の大きい役で、ちがった魅力を見せている。オリガのエレーナ・ザレンバと、レンスキーのラモン・ヴァルガスの恋人たちの二重唱は聴き映えがするが、これは主人公オネーギンの最後まで好かれない性格を強調することになっている。
ゲルギエフの指揮、練習風景も放送されたが、この人は精緻で柔軟、ロシアものばかりでなく現代もっとも評価の高い指揮者の一人というのもうなずける。
そしてロバート・カーセンの演出は、あまり具体的な背景、調度類を使わず、田舎は枯葉にうまった舞台、パーティも椅子だけなど、そして場面の切り替えでオネーギンだけ舞台に残し、衣装替えなど何か意味を伝えようとしている。筋立てに問題があるからこのくらい象徴的な演出の方がいいだろう。この人どこかで、と思ったら、例のスカラ座「ドン・ジョヴァンニ」を演出した人だった。
第一幕の前半、乳母とのやりとりの中で「習慣は天からの授かりもの、幸福の代わりになる」という台詞が強調される。これは終わってみればこの作品の基調のひとつであろうか。
というと思い出すのは、男女が逆転するが映画「シェルブールの雨傘」である。これは最後これでもかという表現はなく、でも見ているものはすべて理解する。作られた時代の違いでもあるのだろう。