ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」
指揮:ワレリー・ゲルギエフ、演出:スティーブン・ワズワース
ルネ・パーペ(ボリス)、エカテリーナ・セメンチェック(マリーナ)、アレクサンドルス・アントネンコ(グレゴリー(偽ドミトリー))、ミハイルペトレンコ(ピーメン)、アンドレイ・ポポフ(聖愚者)
2010年10月23日 ニューヨーク・メトロポリタン、 2012年6月WOWOW 放送録画
ずいぶん前に「ボリス」の映像を見た、という記憶はあるけれど、今回のようにきれいな画面ではないから、内容についてはあまり覚えていない。
皇帝になる過程でイワン雷帝の息子ドミトリーを殺してしまい、そのことに自ら悩み、次第に狂気を帯びていくボリス、ドミトリーは死んでいないという伝説を利用しドミトリーになりすまし、ポーランドからロシア正教とカトリックの争いに利用され?別の見方をすればそれを利用し、ポーランドからモスクワに攻め上るグレゴリー、そしてかなり長い全曲の中で、これに年代記を作っている僧ピーメン、目が見えず健常者とはちがったものが見える聖愚者が加わった時代劇というか歴史劇。
ボリスという人の内面は複雑で、どろどろしているが、それはこうしてオペラで聴いてどうかというと、この長時間は無理がある。
音楽に沿ってたとえばボリスの心情を追体験、といっても、何か入っていけない。ボリスの子供たちも出てくるが、それはつけたりの感もある。
際立った旋律は特にないが密度の濃い音楽、ゲルギエフの指揮はここでも繊細かつ迫力があり、オーケストラと合唱はそれによく応えている。特に合唱団の歌唱と演技は特筆もので、メトの合唱団がまるで外国語のロシア語を覚えこみ、意味を理解して演技もするのは、この曲の規模を考えるとたいへんなものである。特に、ボリスが息絶えて暗転、解き放たれた群衆が舞台になだれ込んでくるところ、、、
ワズワースの演出では、舞台装置は今の流行であまり具体的な大道具、調度を置かないものだが、畳のように大きいものに書き加えられつつある年代記(?)がいろんな場面で象徴的に使われており、これは効果的である。
あと、ルネ・パーペのボリス、その迫力と演技、表現がすごい、というのはわかる。主要な歌手の中でこのひとだけがロシア語を母国語としていない。パーペはドイツ生まれである。今、バスでは第一人者だろう。
ともあれ昔から評価は高い曲だが、何か今一つ感動にはいたらない、と誰もいえない作品なのではないか?