おはようございます。
反省猿さん!こう呼びかけるしかないですね、そういうハンドルネームなんですから…(笑)
「迎合は確かに醜いです。相手のご機嫌ばかりうかがっている人はどことなく嘘っぽい。そんな風なところが実は私はあるんです。何故なら人の目が恐い。この恐れはどこからくるのでしょう?教えてください。」
という質問ですが…
苦しみの元凶はインド哲学(仏教も)アヴィディヤーだと言われています。ヴィディヤーは明知のことですが、この明知を私たちは取り違えます。こんなに知識を蓄えている…とか、こんなに本を読んでいる…とか。
実は、ヴィディヤーは一言でいうと「偉大なるもの、大いなるものに生かされている」ことに気づくこと。そのヴィディヤーの頭にアがつきますから否定で、アヴィディヤーは無知のこと。
これについてデシカチャー師は次のように述べておられます。
★
【アヴィディヤーは、それ自身をアヴィディヤーとして表現することはほとんどありません。しかし、私たちはその子供を通じて知ります。
一番目の子供は「アスミター」です。それはいつも私たちを駆り立てる「私」意識のことです。「私のもの」「私は正しい」「私は偉い」…これらはアスミターの表現です。
二番目は「ラーガ」(執着・欲望)です。私たちはあるものを必要としているからでなく、それが昨日楽しかったという理由で今日も求めます。
三番目は「ドヴェーシャ」(嫌悪・憎悪)です。欲しいものが得られない時に起こる憎しみです。
最後はアビニヴェーシャで、恐れの源です。私たちは自分の地位について恐れます。私たちは他人がどのように自分を判断し、近づいてくるかにびくびくします。
これら4人の子供たちが、別々にあるいは組み合わさりアヴィディヤーを明確に見ることを困難にしています。
★
人の目が怖い…
これはまさにアビニヴェーシャで恐れの源なんですね。私も血液型A型も手伝ってか、人の目がとても気になります。これは無知な証拠だったのですね。でも自覚をもっているかいないかは大きな違い…と、自分を慰めています。(笑)
反省猿さんのお陰で再確認しています。これから九州に行ってきます。(荻山貴美子)