日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

呪縛

2015年11月13日 12時45分05秒 | 思うがままに

昔のお母さんは、ご主人のため、子どものため、家のため…

自己を犠牲にして生きてきたようです。
 
一所懸命一所懸命にやって、どこにはけ口を見つけたか?
それは井戸端会議。
 
でもこの言葉はもう死語ですよね。
 
私自身も井戸は、子どもの時にかすかに見たような見ないような…。
 
昔はこれが当たり前の女性の生き方。
 
一所懸命にやって少しでも逆らえば「出て行け!」と言われた時代。
 
女三界に家なし…
 
今は違います。逆転しているかもしれません。
 
しかし、呪縛というのはいつの時代でもあります。
 
心理的に自由をうばわれること…
 
それが会社であり、家庭であり、学校であろうと、何か精神的な縛り付けがあれば、それは呪縛。
 
毎日、家族のために満員電車に揺られ、通勤するお父さん。
でも帰宅したら奥さんや子どもたちが、声を揃えて「お帰りなさい」と言われた瞬間。明日もヤルゾ!という気分にもなるそうです。
家族が当たり前のような態度だったら呪縛。
 
朝早くから夜遅くまで、時間制限なくはたらくお母さんを「いつもありがとう」という言葉と態度で労ってあげればお母さんは、毎日楽しい。
家族が無視すれば呪縛。
 
毎日、残業残業の社員を尻目に、定時にサッサと帰宅するような上司には誰もついていきません。挙句の果てに手柄は自分。しくじりは部下。こんな上司の下では呪縛。
 
上司のよくやってるね…という労いの一言で、明日からの活力に繋がります。
 
人はコミュニケーション。
 
下町ロケットの佃社長のひたむきさはまともな社員ならついて行くはずです。
 
やって当たり前なんてないんですね。(荻山貴美子)
 
 
 
 
コメント (1)
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