強欲な市長は権力にものを言わせ、悪の限りを尽くして、のうのうと生きる人。
善良なのに社会や運命に抗うことができず不幸の連鎖の渦巻く中でもがく人。
この不条理…。
善良なのに社会や運命に抗うことができず不幸の連鎖の渦巻く中でもがく人。
この不条理…。
映画「裁かれるは善人のみ」
気分転換のために観たつもりが、何とも後味が悪く、勧善懲悪大好きな私にはモヤモヤがつのりました。
ちょっとがっかり…
と思いきや、いつまでも残る映像と台詞。
この映画の主軸は旧約聖書のヨブ記でした。
このヨブ記を読みました。
ヨブは無垢な善人。
神を畏れ、悪には無縁で10人の子どもに恵まれている大富豪のヨブ。
ある日、天上界で神の前に使者たちが集いました。
その中にサタンもいました。
神はサタンに、「彼のような完全無垢で、神を畏れ悪に遠ざかる人が世にあろうか」とヨブの敬虔さを語られました。
するとサタンは言いました。
「財産を奪えば、彼はあなたを呪うに違いない」と。
そこで、サタンは神にヨブをゆだねられ、まずヨブの財産と10人の子どもを奪いました。
しかし、ヨブは神を恨むことなく
「私は裸で母の胎をでた。また裸でそこに帰ろう」と言いました。
そこで、サタンは神に言います。
「いのちを危険にさらせば、彼はあなたを呪うに違いない」と。
それで、ヨブはひどい皮膚病に苦しむことになります。
友人たちは善には善、悪には悪が下るという因果応報を語り、ヨブの苦難は神の裁きの結果であるから、ヨブに心から悔い改めて神に許しを請うように忠告します。
ヨブは友人たちに反論します。
「正しい人が苦しみ、悪しき人が栄えるこの世には、因果応報では解決できない現実が存在する。悔い改めよと言われても、私に降りかかった苦難は身に覚えのないこと」と。
納得のいかないヨブは、ついに神に不服申し立てをします。
「なぜあなたは私に何も言おうとはされないのですか?」と。
ようやくあらわれた神は
「レビヤタンを捕まえることができるか?」とお尋ねになりました。
これが、ヨブの無知に対する神の答えでした。
人間が戦いを挑んでも勝ち目のない存在…自然の象徴たる怪物レビヤタン。
それさえも神の創造したもの…
おのれの無知を悟ったヨブは悔い改め、信仰を取り戻しました。
ヨブは神から祝福をうけ、財産も2倍にされ、新たに10人の子どもを授けられ
「140年いきながらえて、その子、その孫と四代までをみたり かくヨブは年老い、日満ちて死にたりき」
と締めくられています。
この映画の主人公は運命を呪い神を呪っていました。
そこで、ふと思い出しました。
昨年のインドツアーで触れたタゴールの気高さを…。
タゴールは「自分の人生でどんな辛酸を嘗めても、この世で私が見てきたものはたぐいなくすばらしいものだった」
と言い切りました。
何とも切ない映画の結末でしたが、タゴールに再び触れることができた機縁に感謝です。(荻山貴美子)