ヘレンケラーは言いました。
【あらゆる種類の障害は、当人がみずからを開発して真の自由を獲得するように勇気づけるための愛のムチ。
それらは、石のように堅い心を切り開いて神からの高尚な贈り物を自分の存在の中から見つけ出すために、私たちに手渡された道具なのです】と。
ヘレンケラーの名を知らない人はいないでしょう。
三重苦を背負いながらも、それを克服した偉人です。
しかし、ヘレンケラーと言えども、サリバン先生という50年も影のように寄り添った恩人がいました。
サリバン先生は、ヘレンケラーに「私の幸せはサリバン先生の不幸の上に成り立っていた」と言われるほど献身の生涯だったようです。
実は私も同じように思っていました。
「私の幸せは夫の不幸の上に成り立っていた」と。
だから苦しみ喘いでいたのだと思います。
しかし、このブログを書きながら大切なことを思い出したのです。
去年の今頃、夫の生命のカウントダウンが始まっていました。
病室に2人きり。
不思議な空間でした。
病室から一歩外に出ると確かに時は流れている。
しかし、2人きりの病室では時が止まっている。
静かな満たされた空間。
ただ彼のそばにいるだけであっという間に夜がくる。
何気なく「幸せな時間ね」と言ったら、夫は「キミの幸せがオレの幸せ」と言いました。
別の日には「生まれ変わっても一緒になろうね」と言ったら「キミさえ良ければ」と。
こんな大事な言葉を私は忘れていました。
私が幸せだったのだから夫も幸せだったはず。
ヘレンケラーが幸せならばサリバン先生も幸せだったはず。
それぞれが魂で繋がっていたのでしょうね。
久しぶりに読み直した『愛と死をみつめて』は新鮮でした。
【病院の外に健康な日を三日ください。
一日目、
私は故郷に飛んで帰りましょう。
そしておじいちゃんの肩をたたいて、
それから母と台所に立ちましょう。
おいしいサラダを作って、
父に熱燗を一本つけて、
妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、
私は あなたの所へ飛んで行きたい。
あなたと遊びたいなんて言いません。
お部屋をお掃除してあげて、
ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしいお料理を作ってあげたいの。
そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。
三日目、
私は一人ぽっちで 思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら、
三日間の健康をありがとうと笑って永遠の眠りにつきます】
新聞に投稿した「妻が残した七日間」という詩が多くの読者に感動を与えて、メディアにも取り上げられて話題になりました。歌にもなりました。
あの時、どこかで見たような聞いたような気がしたのは、大島みち子さんのこの詩だったのです。
この純愛は大島みち子さんが不治の病に侵されなかったらあり得なかった物語です。
2人の出会いは神さまのお取り計らい。
私の勘違いでしたが、河野実さんはみち子さんの妹さんと結婚されたのではないみたいです。
若くして亡くなったみち子さんにはそういう宿命。
最愛の恋人を失った河野さんには、みち子さんの命を生きる宿命。
すべて宇宙の仕組みの中で起こっていること。
日蝕は太陽と月の結婚。
すべてが神秘に包まれていますね。