そこは
深い、海の中
その日は急に天候が変わり
空からは容赦なく雨が降り注いでいた。
海は荒れていて波は大きくうねっていた。
「昼間は晴れてたのにね」
「……うん」
智が表情を曇らせていたので
弟のカズが心配そうにそう話しかけると
智は浮かない顔で返事をした。
「どうかした?」
その智の表情に不安になりカズが聞く。
「なんか嫌な予感がする」
「嫌な予感?」
「そう。ちょっと上に上がって見てくる」
そう言うと智はいてもたってもいられないという感じで
海の上へ上へと目指し泳いでいった。
「え、ちょっと俺も行く」
カズは慌てて追いかける。
「あ、あれ」
「船だ」
雨が空からザーザー降り注いでいる。
周りは真っ暗で何も見えない。
ただ一点遠くの方に船の明かりが大きく
揺れているのが見えた。
船は波の煽りをもろに受け
今にも転覆してしまいそうな勢いだった。
「危ないっ」
あまりにも船が波に煽られているため
心配になり二人が近づいていくと
一人の人影が見えた。
なんで外に?
そう思った瞬間
船が大きな波に煽られ
大きく揺れその人が海の中へと放り出される姿が
はっきりと見えた。
「堕ちた」
「カズ、探そう」
そう言って荒れ狂う海の中
必死にその落ちた人を探す。
「いた」
打ち付ける波に煽られながら
なんとか探し出し必死に海岸へと運ぶ。
そして安全なところまでたどり着くと
そこに横たえ、一生懸命海水を吐き出させる。
「げほっげほっ」
「息を吹き返した」
カズが、やったーとガッツポーズをする。
その人は冷たい海の中に投げ出されたせいか
全身が青白く生気を失っていたが
息を吹き返すと徐々に生気をおび
ピンク色に染まってきた。
「うん、これでもう大丈夫だろう」
「よかった」
二人でほっと安堵のため息をつく。
「多分、朝になれば誰かが見つけてくれるだろうから
誰にも見られないうちに帰ろう」
雨はいつの間にかすっかり上がり
空がうっすら白み始めてきていた。
「ねえ、人間になるって本当なの?」
「うん」
カズが心配そうに智に聞く。
「でも代わりに声を奪われてしまうんでしょ」
「うん」
「足も物凄く痛いんでしょ?」
「そうみたいだね」
カズが心配のあまりしつこく聞いていると
智は苦笑いしながら、そうみたいだねと答える。
「それに、それだけじゃないんでしょ?
前に母ちゃんから聞いたことがある。
もう一つ重大な事があるって」
「……」
カズが言いにくそうにそう言うと
智は無言でカズの事を見つめた。
「母ちゃんはそのもう一つを教えてくれなかったけど
ものすごく大事な事なんでしょ?」
「カズ、そんなに心配しないで大丈夫だよ」
「何でそんな思いまでして人間になんてなるんだよ?」
「……」
カズは兄の智が心配で必死に食い下がる。
智は何も言うことが出きず、カズの顔を見つめた。
「……もしかして、あの嵐の日に助けた人の事?」
「そんなの、関係ないよ」
カズは言おうか言うまいか悩んでいたようだったが
思い切ってそう聞くと
智は関係ないよとだけ言って、ふっと笑った。
あまりの足の痛みのため動くことができず
海岸でうずくまっていた所を助けてくれたのは
お城で庭師をしているというマサキという人だった。
マサキはお城の庭園の隅にある小さな小屋に住んでいて
お城の警備と庭の整備の仕事をしていた。
何者なのかもどこから来たのかも分からない
何一つ素性もわからない智を
無理やり問いただすこともせず
優しく介抱してくれる。
智はその事に感謝し
徐々に足の痛みにも慣れ動けるようになると
庭の剪定や掃除を一生懸命手伝った。
そんな風に毎日を過ごしていたある日
見かけない男の人が庭を散歩をしているのが見えた。
その男の人も智やマサキの存在に気づいたのか
近寄ってきた。
「翔様、大丈夫ですか?」
その人があまりにも青白い顔をしていたせいか
マサキがその人を気遣うように声をかける。
「うん。ずっと部屋にこもっていたら
たまには外に出て散歩でもしろって
追い出されちゃったんだ」
そう言ってその人は、照れくさそうに笑った。
「その人は誰? 見かけない顔だね」
翔が智の存在に気づき、不思議そうに問う。
「……」
「こいつはどうやら口が聞けないらしいのです」
マサキが代わりに答える。
「……口が?」
翔が心底びっくりしたような顔でそういった。
智は思わず俯く。
「海岸で倒れているところを見つけて連れて帰って
今は手伝いをしてもらっているんです」
「そうなんだ」
「翔様に黙って勝手なことをして申し訳ありません」
「いいんだよ。マサキは長年ここに仕えてくれているし
両親からの信頼も厚いから全然問題ないと思うよ」
「一応簡単に事の経緯は説明して王様からは許可をもらっています」
「そっか。じゃ安心だね」
そう言って翔はニッコリと笑った。
「俺は翔。これからよろしくね」
翔がそう言って手を差し伸べてきたので
智が恥ずかしそうにおずおずと手を差し出す。
二人は握手をした。
そして改めて翔の顔を見る。
「……!」
あの
あの、嵐の時の人だ。
さっきまで恥ずかしくてまともに顔を見る事ができなかったが
思い切って顔を上げてその顔を見つめると
それは紛れもなくあの嵐の夜に助けた
その人だった。
確かに身なりは高貴そうなものを身にまとっていた。
けどまさかこの国の王子だったとは。
びっくりしながらその端正な顔立ちの王子を見つめると
翔はその青白い顔でにこっと優しく笑った。