本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

無価値の世界

2013-02-06 22:08:21 | 住職の活動日記

 『 創価学会 』  という教団があり、

全くわからないのですが、

この言葉に 「 創価 」 という言葉に

素晴らし言葉と感じていました。

 私なりには 「 創価 」 というのは

「 価値を創造する 」 というところから

きたのではないかと、思っています。

 新しい価値を見出していく、

新しい意味を作り出していく、

なんでもないことに意味を見出す、

とても素晴らしい言葉と思っていました。

 

 それと反対に、

『 無価値の世界 』  ということにも

最近興味を引かれるのです。

 

 先日のテレビでしたか ?

「 伊能忠敬 」 の物語がありました。

婿養子になった忠敬は行った先の家業も立派に成功させる

という実力を持ちながら、

楽隠居になり、自分のやりたかった

天文学に取り組むのです。

単純に、地球の大きさを知りたい !

そのためには、江戸にいる距離では

正確な測量は出来ない。

せめて、樺太くらいまで行かないと、

という動機で、樺太の測量を始める。

それも自費でおこなうのです。

 知ったからといって、お金を生むなんて考えていません。

ただ知りたい、ということが彼を動かしていく。

 

 金になる仕事、

世間でいう価値ある仕事、

それも大切ですけど、

本当の仕事というのは

無価値な仕事では、と思うのです。

 

 忠敬の純粋な知りたいという

世間でいえば、変人扱いされるような

無価値の動機が、

あとでは、世界を驚かせるのです。

彼が歩いて測量した地図は

英国海図というグローバルスタンダードに

匹敵したのです。

そのことは、これだけの地図を作れる国は

あだやおろそかに占領できない、

ということを世界に認めさせた、

という地図だったのです。

 

 彼は星を見て測量して

そのこと自体が楽しい、

させてもらえることが楽しい、

それだけの理由なのですが、

そういうことが 『 無価値の世界 』 

に遊ぶということではないかと思います。

 

 宗教という世界も

世間的な貨幣価値の目で見ると、

なんとも 「 無価値な世界 」 でしょう。

しかしです。 

思うのですが、

「 無価値な世界 」 があればこそ、

「 価値ある世界 」 も成り立ってくるのでは  …   と ?

 

 年ということもあるのでしょうか ?

最近では 、 この 『 無価値の世界 』

ということが気にかかるのです。

 

 

 

 

 

 

コメント
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