「 富は海の水に似ている
飲めばますます
喉が渇きをおぼえる 」
ショーペンハウアー
祖父がこのショーペンハウアーのことを話しているのを
思い出しました。
その頃は 「 ショーペンハウエル 」 と言っていたように
思います。
この方は深く仏教を勉強しておられたようです。
ご自身も、
「 仏陀、エックハルトと本質的に同じ事を教えている。」
と、おっしゃっておられます。
また、トルストイ、フロイト、アインシュタイン
などなどに深く影響を及ばされたようです。
今週の言葉も、仏教でいう 「 煩悩 」 ということを
言い表しておられるのでしょう。
「 欲ふかき 人のこころと 降る雪は
積もるにつけて 道も 忘るる 」
という歌もあるように、
人の欲には限りがないのです。
得れば得たで益々欲しくなる。
そこで翻って思い出す言葉は
『 吾 唯 足る 知る 』
という、京都の竜安寺にある
蹲 ( つくばい ) です。
丸石で真ん中の水のあるところが
四角になっていて、その周りに
上から 「 吾 」 の 五の部分、
右側に 「 唯 」 の右の部分
下に 「 足る 」 の下の部分
左に 「 知る 」 の左側の部分が書いてあるものです。
I learn to be contented
( 満足することを学ぶ )
という英語の言葉もあります。
ショーペンハウアーも、
人間足ることを知らないと、大変なことになる
世界をも壊してしまうようなことになる、
そういうことを暗示している
その意味合いをこめて
「 富は海の水に似ている
飲めばますます
喉が渇きをおぼえる 」
ということを示唆されたのではないでしょうか。