本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

唯識三十頌 読誦 !?

2013-05-20 21:27:06 | 住職の活動日記

 朝の勤行に 『 唯識三十頌 』 を

新たに読み始めました。

 

 巡礼にお参りに見えられる。

  「 ぶつせつ まか はんにゃ  …

    しきそくぜくう くうそくぜしき 」

なんともたどたどしい、

 

 ( お経は基本2字ずつの組み合わせ、

   。とかで区切るのではなく、

  二字ずつ区切って読むと

  しゃりししき・ふいくうくう・ふいしきしき・

となるのです。

 ところが、。で区切ると

  しゃりし・しきふいく・くうふいしき

  しきそくぜくう・くうそくぜしき

  舎利子。色不異空。空不異色

 

なんともリズミカルではなく、

お経がブツブツと切れて、

聞いていても心地よいものではありません。

 

 と、人のことは貶して聞いていたのです。

ところが、自分が 「 唯識三十頌 」 を読み出すと、

まったく素人さんと同じように、

読めない  

 最初の方はまだしも、読むにつれて

 

 「 かいさんじゅそうおう しょへんぎょうそくとう … 」

 

なんとも、一字一句口が回らない。

 

 読み慣れた 「 理趣経 」 というお経、

漢音で発音するせいか、読み方が全く違う、

でもそれが不思議なリズムを醸し出していて、

聞く方にはとても新鮮な響きに聞こえるようです。

 

 最近感じたのですが、

年のせいもあってか、口が回らない

読みなれたお経はそのような口になっているのです。

ところが話す段になると、新しい言葉とかは

舌をかんでしまいます。

とても話しづらく思うことが度々です。

 

 唯識三十頌 」 も勉強としては

繰り返し読むのですが、

お経のように声を出して読むとなると、

ほんとうに読めないものです。

 すらすら読めないのは歯痒い思いもしますが、

これも、初心に立ち返り、

遅くとも、ゆっくり声を出して、

読み込んでいかなければなりません。

 そして、小僧さんが習うように

繰り返し繰り返し、その口になるまで

唱えなければいけないようです。

 

 黙読すればいいようなものですが、

やはり、大きな声で読んでいくということも、

お経の文字一つ一つに新たな発見があるようです。

 

 そんなわけで、

今小僧さんの気分で

大きな声で読んでいるのです。

 

 

 

 

 

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