本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

かにかくに祭

2013-11-08 22:43:59 | 住職の活動日記

 今日 11月8日 「 かにかくに祭 」 が催されました。

このことは新聞で知ったのですが、

 

 「 かにかくに祇園はこひし寝る時も

     枕の下を水がながるる 」

 

と歌った 『 吉井 勇 』 を偲んで、

祇園甲部の芸妓、舞妓さんたちが

歌碑に白菊を手向けるというお祭りです。

 

 「 吉井勇 」 という方を知ったのは、

今週の言葉に、

  「 おん墓の 石をなでおり

     幼くて 抱かれし父の

    腕 ( かいな ) おもいて 」

という、歌を使わせてもらってからでした。

 お参りの方に 「 吉井勇 」 は

こんな歌も詠んだのですね、

といわれてから、少しだけ調べてみたのです。

 

 有名なのは 『 ゴンドラの歌 』 です。

   「 いのち短し 恋せよおとめ

      赤き唇あせぬ間に

     熱き血潮の冷えぬ間に

      明日の月日のないものを 」

私の年で、少しだけメロディーが口ずさめる

歌なので、若い方はご存じないと思います。

 

 この祇園にある 『 歌碑 』 は

昭和30年11月8日に吉井勇の古希を祝って

谷崎潤一郎が中心になって建てたということです。

それ以来、祇園の甲部の方たちが中心となって

11月8日に 「 かにかくに祭 」 が催されています。

 

 今も、熊本の天草には 「 五足のくつ 」 という旅館があります。

この名前も、与謝野寛 ( 鉄幹 ) が学生であった、

太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇を連れて

旅したことが由来のようです。

 

 また、こういう歌もあります。

  「 空海をたのみまいらす心もて

      はるばる土佐の国へ来にけり 」

  「 空海が大きみ足のあとも見る

      室戸岬のたちばなの道 」

最初の奥さんと別れて隠遁した折、

高知県の美香市に身を寄せています。

その折に詠んだものでしょう。

 

 「 かにかくに祭 」 から 『 吉井勇 』 の

足跡をほんの少し垣間見てみましたが、

空海の歌があったり、また

熊本の天草の 「 五足のくつ 」 に滞在したり、

また、最近気になっている場所に、

八幡市の 「 松花堂 」 もあります。

八幡市月夜田の宝青庵 ( 通称、紅葉寺 ) に

暮らしていました。

その折、松花堂で谷崎潤一郎、志賀直哉、梅原龍三郎と

親交を深めていったようです。

 また探索したいと思っています。

 

 いろんな広がりがあって、

興味深く、驚きの連続でした。

 

 

 

 

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1000本素振り !

2013-11-08 10:28:01 | 住職の活動日記

 先日亡くなられた 「 川上哲治さん 」

努力の人で、現役を退かれた後も、

毎日 「 1000本 」 の素振りは欠かさなかったそうです。

 

 最近のスポーツジムは結構ご年配の方で

賑やかになっています。

年取ったら 「 貯金 」 ですね ?  いや、

「 貯筋 」 です。

 私も体重が変わらないので安心してましたら、

太腿がどうも細くなっているようです。

 ということは筋肉が落ちて脂肪が増えたという

細めの隠れ肥満ということらしいです。

 

 体もさることながら、

「 脳トレ 」 、 頭も鍛えておかなければ

先日届いた、サントリーの 『 美感遊創 』

という月刊誌、今月は

「 感動こそ脳に響く 」 というテーマで

{ 若々しい脳のために } という記事が載っていました。

 

 あえて、難しい文章に触れるのも

脳を鍛えることになるのか ?  と、

わからないけど、読み砕きもできませんが、

ただ難しい文章に触れる、

これも、1000本素振り、に匹敵するものでは

と取り組んでいます。

 

 今朝も、わからないけど響く言葉に出合いました。

 

  観というのは 「 止観 」 という。

 一切唯識と止観するということです。

 止観という言葉が、これが常に 「 もの 」 の純粋な捉え方ですね。

 考え方というよりも、捉え方なんです。

 ものを考えるんじゃない、考えるというkとを捉える。

 すなわち見るということです。

 考え続けるんでもなければ、考えをやめるんでもない。

 考えをよく見るということです。

 普通には見えんのです。

 私たちが見ていることが本当だと思っているけど、

 そうじゃないんで、なかなかよくものが見えんのです。

 つまり私たちにものを見る眼をさまたげているものがある。

 そういうものが私たちの心の中にあるのです。

 それを 「 執 」 というのです。

 「 執着 」 があるのです。

 なかなか意識できませんけど、

 執着をとった人は良く見えるのです。

 それが即ち 「 智見 」 ということです。

 そういうものは悟った心で、仏の智見です。

 仏の智見で初めてよくものが見られる。

    …   …

 仏の心というのは 「 執 」 を破った、という意味です。

 それよりほかに仏はないのです。

 

なかなか難しい !!

というより、本当に事実は簡単明快なものでしょう。

私たちの心が 「 執 」 ということで難しくしているのでしょう。

 

 川上さんの1000本素振り、

それはひたすら、身についた自分勝手な 「 執 」 ということを

破るための鍛錬だったのです。

「 執着 」 が取れてみれば、

「 ボールが止まって見える 」 ということも、

本当の事実ということなのでしょう。

 

 やはり、日々鍛錬 !!

難しくても読み触れていくことが …

それしかない !

ということです。

 

 

 

 

 

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