今日 11月8日 「 かにかくに祭 」 が催されました。
このことは新聞で知ったのですが、
「 かにかくに祇園はこひし寝る時も
枕の下を水がながるる 」
と歌った 『 吉井 勇 』 を偲んで、
祇園甲部の芸妓、舞妓さんたちが
歌碑に白菊を手向けるというお祭りです。
「 吉井勇 」 という方を知ったのは、
今週の言葉に、
「 おん墓の 石をなでおり
幼くて 抱かれし父の
腕 ( かいな ) おもいて 」
という、歌を使わせてもらってからでした。
お参りの方に 「 吉井勇 」 は
こんな歌も詠んだのですね、
といわれてから、少しだけ調べてみたのです。
有名なのは 『 ゴンドラの歌 』 です。
「 いのち短し 恋せよおとめ
赤き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日のないものを 」
私の年で、少しだけメロディーが口ずさめる
歌なので、若い方はご存じないと思います。
この祇園にある 『 歌碑 』 は
昭和30年11月8日に吉井勇の古希を祝って
谷崎潤一郎が中心になって建てたということです。
それ以来、祇園の甲部の方たちが中心となって
11月8日に 「 かにかくに祭 」 が催されています。
今も、熊本の天草には 「 五足のくつ 」 という旅館があります。
この名前も、与謝野寛 ( 鉄幹 ) が学生であった、
太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇を連れて
旅したことが由来のようです。
また、こういう歌もあります。
「 空海をたのみまいらす心もて
はるばる土佐の国へ来にけり 」
「 空海が大きみ足のあとも見る
室戸岬のたちばなの道 」
最初の奥さんと別れて隠遁した折、
高知県の美香市に身を寄せています。
その折に詠んだものでしょう。
「 かにかくに祭 」 から 『 吉井勇 』 の
足跡をほんの少し垣間見てみましたが、
空海の歌があったり、また
熊本の天草の 「 五足のくつ 」 に滞在したり、
また、最近気になっている場所に、
八幡市の 「 松花堂 」 もあります。
八幡市月夜田の宝青庵 ( 通称、紅葉寺 ) に
暮らしていました。
その折、松花堂で谷崎潤一郎、志賀直哉、梅原龍三郎と
親交を深めていったようです。
また探索したいと思っています。
いろんな広がりがあって、
興味深く、驚きの連続でした。