紹介されていった動物病院、
そこは 「 淀 」 というところにありました。
淀の競馬場で有名なところです。
その病院の前に石垣が、
ナビの地図で見ると、 「 淀城公園 」 とあります。
病院の待ち時間もあったので
駆け足で、中に入ってみました。
淀城址という手作りの看板が見えます。
その入り口には
水車の模型があるのです。
調べてみると、 「 淀城水車 」 という
とても大きな水車があったようです。
低い石垣を登っていくと、
まだ、うっすらと紅葉が残っていました。
中には 「 淀城の址 」 という石垣が立っています。
淀城なので、かの 「 淀君 」 がいた城なのかな
と思っていましたが、どうも違うようで、
その淀城は今ではなくなっていて、
この城より500メーター北にあり、
今ではお寺になっているようです。
この石垣の隣には、
「 唐人雁木 」 ( とうじんがんぎ ) の石碑も立っています。
本来はここにはなかったのですが、
石碑だけがこの地に移されたようです。
この 「 淀 」 という場所、
「 桂川 」 「 宇治川 」 「 木津川 」 の三つの川が
交わるところです。
で、 三つの川が寄り合う所、
寄り処 ( ヨリト ) が語源となって
「 淀 」 という地名になったようです。
対馬によって、日本にやってきた
『 朝鮮通信使 』 瀬戸内海を通り
大阪から淀川をあがり、この淀城にやって来て
休息したのがこの淀なのです。
その船着場の上がり口を 「 雁木 」 といいます。
瀬戸内海の船着き場でも見たのですが、
階段状になった船着き場です。
潮の干満に左右されることなく
上がることができた。
その当時としては大変な発明だったのでしょう。
続く