本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 祈り 」 !

2013-12-28 17:51:50 | 住職の活動日記

 今年最後の 「 お不動さま 」

恙無く無事に勤めさせていただきました。

 今年一年間の御礼もこめて、

護摩木を見ていると 「 御礼 」

という言葉も目にしました。

 何はともあれ、今年一年間

いろいろありましたが、無事に勤められたのは

本当に感謝です。

 

    

 

護摩の炎も皆さんの祈りを集めた

力を現しているようです。

 

 『 祈りなき行動は妄動であり

    行動なき祈りは妄想である 』

 

と言った方がおられます。

 

 経済とか政治とか非常な力を持ったように見えますが

本当はその力も祈りに裏打ちされたものでなければいけません。

 すべてのことはよくよく考えると

祈りによって支えられているのです。

 祈りがなければ事業なんて出来ません。

どんな小さな事業でもその根底には

祈りがければ成り立ちません。

 

 私たちがこうやっているのも、

深いところで見れば、「 祈られてある 」 のです。

気が付きませんが、

祈りがなければ一日も存在することはないでしょう。

 祈りを見失うと、

自暴自棄になったり、やけになったり、

そして、人間として一番辛いことです。

 苦しい時悲しい時、

どこかで誰かが自分を祈っていてくれる、

そのことに気が付けば、

ささやかですが、力をいただけるものです。

 

   

 

護摩の炎も生きもののようです。

小さくなったり大きくなったり、

勢いがよかったり、消えそうになったり、

 

   

 

こちらが意識するしないにかかわらず、

いろんな姿を見せてくれます。

 

 不思議なもので、火の姿を見ていると

私は落ち着くのです。

 祈りということの、

形をとったひとつの姿だと思います。

 

 当院の本堂の隣の部屋で生まれ、

祖父の護摩焚く姿を見ながらも、

そのことに反抗ししつも、

次第に近づいていった。

東寺の御影堂ではお大師さまの

背中を拝み見つつ10年間焚きつづけ、

今また、つきに一回は護摩を焚かせて頂き、

不思議な縁を感じます。

 ということもあってでしょうか、

護摩を焚くということは私にとって

一番集中できる時でもあるし、

私を育ててくれた背景を感じるときでもあります。

 

 今年一年の感謝と

来年もさらによい年でありますよう

祈念祈祷いたしました。

 

 

 

 

コメント
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