本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人間は問題にぶつかったら自分を変えるのが大事

2014-07-02 21:49:15 | 住職の活動日記

 今読んでる中で、

こころに響いた言葉です。

 

「 人間は問題にぶつかったら、

   自分を変えるのが大事です 」

 

問題が出てくると、自分の周りにあることを

変えようと躍起になります。

 

しかし、外の問題を変えようとすると、

次から次に問題も出てくるし、

また、どうしても変えられない問題も出てきます。

 

いま、子育て真っ最中のお母さん、

子どもという難題を抱えて悪戦苦闘です。

言ううて聞かせても、理解できない、

かといって、子供を … どうすることもできない。

ただただ、子供が何をしてほしいのか

全身を耳にして聞き取るしか方法がないのです。

 

そこには、今までの自分の考え方を捨てて

自分を無にして、子供の声を

聞くしかないのです。

自分を変えるしか方法がない、

 

人は、普通は話せばわかる !!

といいます。

はたしてそうでしょうか ?

話せば話すほど誤解するということがあります。

しかし、話さなかったらなおさらわからない、

責任ある立場に立たされたとき、

自分の考えをどうしても理解してもらえない

という苦い思い出があります。

かといって、話さなかったら

なおさらのこと理解してもらえない、

そういうジレンマに立たされるものです。

 

ある先生は、

 話さなくてもわかりあえる、

 これが浄土だと。

 話せばわかるのは

 世間であり、

 話してもわからないのは地獄の世界である。

と、

立場が違ってくると、

本当に理解しあうことは

出来ないものです。

 

問題にぶつかったら、

自分を変えていく、

なんだか情けないような気もしますが、

自分の心を変えていく、

謙虚に、

こころが透明になってくれば、

聞こえてくる世界も開けてくるようです。

 

 

 

 

 

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蓮を育てる パート2

2014-07-02 11:18:37 | 住職の活動日記

 先日、三室戸寺のハスの種を買ってきて、

やっとの思いで両端を切って、

水につけておきました。

ちょうど熊本に帰る前でしたので、

23日です。

28日帰ってみると、

小さな芽を出していました。  

しかし、

 

    

 

ここからが、難しい !!

芽から茎が伸びてきたのですが、

先っぽが枯れだしたのです。

 

    

 

もうひとつも同じような状態、

きれいな蓮の葉っぱにならないのです。

 

ネットで育て方を見ると、

葉っぱが出そろったら、

田んぼから頂いた泥に植えるとありますが、

そこまでは育たないようです。   

 

    

 

もう一つは芽も出ない種もあります。

 

    

 

蓮の花は仏教では象徴的に扱われます。

人間の心の奥深くにある、

菩提心(清らかなほとけの心) を

あらわしています。

あるけど、芽が出ない、芽が出ても育たない、

すべての人間に仏の種は宿っている、

内包している、孕んでいる、

と、お経には書いてあるのでが、

確かにある、けど

菩提芯が目を出すのは難中の難であると、

 

    

 

もう少し見守りましょう。

育つかもしれない  

 

 

     

 

片や、「となりのむかか」

無花果、独特の香りが漂っています。

もうはちきれんばかりです。

「いまがたべごろですよ !!」

言ってるかのようです。

 

    

 

熟して落ちてしまうかもしれません。

無花果、というぐらいですから

花は無くても実はなるのでしょう。

人知れず、実って落ちていく、

花もあるのです。

 

「一切衆生、悉有仏性」  とあります。

けど、芽が出て、花開くのは

「百千万劫難遭遇」 (ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

ということなのですね。

 

 

 

 

 

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