本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

jijiはガキ大将!!

2015-11-12 21:08:43 | 住職の活動日記

孫二人のパワーに振り回され

可愛さ反面、ほっとけば

どこまで調子に乗るやら!

たかだか2年余りしか生きていない

ガキどもに何が分かるか、

舐められてたまるか

悪いことは悪いと

断固として親どもが団結して

孫を泣かせます。

子供は泣くのが仕事と割り切って

泣くのを楽しむくらいの

こちらの余裕をかまして

見つめています。

「子どもは弾圧しかない!!」

といった方がいますが

ある面あたっているのかも??

 

子どもも煩悩の塊です。

そして、親の様子をうかがいながら

ここまでしたら怒られるかな?

と、親の心の斟酌をはかっています。

 

自分が起した煩悩なら

自分で止められずはずです。

ところが止められないということは

自分が起した煩悩ではないのです。

起こるべくして起こる煩悩です。

煩悩は自分の意思に関係なく

起こってくるのです。

それは縁起によって起こってくるのです。

 

そこのところを

子どもの頃から

しっかり押さえておかないと、

煩悩はどこまでも

自分の意思に関係なく成長していきます。

 

麦踏ではないですが

小さい時に踏んづけて

おかないと立派な麦には育ちません。

煩悩も同じです。

煩悩は自分で自分をもて余すのです。

 

自分といっても二つの自分がある。

人間は分別(ふんべつ)の生き物です

しかし、分別するから

物事を理解したり研究したり

出来るので一概に

悪いとは言えませんが、

分別することによってそれに愛着する

ということが出てきます。

愛着すると、それによって

煩わし悩まされるということが

起きてきます。

自分自分と言っていますが

よくよく見てみると、

分別する自分と

愛着する自分とが

二つあるということです。

 

子どももよく見ていますと

好き嫌いを分別している

しかし愛着するという心が

まだ薄いようです。

ここでたたいておくと、

その時は泣きわめきますが

なにかしら別の興味が出ると

ケロッとしているものです。

 

そしてまた、

厳しくした方がなついてくる

ような気がします。

本能的に

自分では分からないでしょう、

けれども、自分を克服できた

という一面を感じ取っているのでは??

 

愛着に負けて流されてしまう

自分もいるのですが

それを克服できた喜びを

味わうことのできる自分も

いるように思います。

 

まあ、しばらく孫との戦いでしょうか??

なんだか可愛いのですが

可愛い可愛いとばかりも

言っておれませんので … 

当分ガキ大将をつとめます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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