本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「捨」-心のぶれない一線

2019-10-17 20:19:45 | 住職の活動日記

整理整頓は「断捨離」

ということがいわれておりますが

何かしら

仏教の言葉とにているところも

あるようで

内容的には少し違うところも

あるような気がします。

 

お釈迦様が説かれた修行に

三十七道品(どうほん)という

ことがあり、

その中に「四正勤」(ししょうごん)

これは「四正断」といって

正しい努力ということです

怠慢心を断ち、障りを断つ

ということです。

 

「断捨離」の「捨」は

捨てるということではなく

仏教では「行捨」(ぎょうしゃ)

といって、

平静・無関心ということです。

善い心の一つにも数えられ、

かたよらないこころ

ということです。

 

人間調子がいいと有頂天になり

それを掉挙(じょうご)といいます

何かしらうれしいことがって

心がうきうきして落ち着かない

ということは

三昧というか精神集中ができない

これも煩悩の一つです

反対に、

惛沈(こんじん)という

心があります

文字から察するに深く沈んでいる

どうもやる気が起こらない

何かしら心が沈んで

何事に対しても積極性がなくなって

無気力になってしまう

これも煩悩で、

求道心という道を求める意欲が

なくなってくるのです。

 

「捨」ということは

この掉挙(じょうご)・

惛沈(こんじん)

とを離れて心が沈まず浮かず

平静、平等にたもつということです

 

私たちはどちらかに偏りがちです

平静、平等にはおれないものです

また、

物事を面白くおかしく見るには

偏って見る方が

興味津々でおもしろいものです

週刊誌とかはその代表でしょう

本当ともいえない

また全くの嘘でもない

その微妙なところで偏って見る

それが読む側には

面白い記事になります。

 

ですから、

「捨」ということは

修行においてはとても重要な

ことになってきます。

お釈迦様の言葉に

「平らでないところを

  平らに歩く」

インドの言葉では

「チャラティ・ビサマム

   サラム」

ということだったと思います。

 

世の中は平らな所ばかりではない

それに引きずられないように

心は平静を保って歩んでいく

心のぶれない一線

それが「捨」ということだと

思います。

 

コメント
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