本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

山門・三門

2021-12-07 20:49:32 | 十地経

お寺の山門というと

やはり「山」を使う山門が

多いのですが

仏さまの浄土へ行くには

三つの門をくぐって行く

ということで「三門」という

字も使います

 

門ということも

大切なことで「入門」という

言葉もあります

入門書という本もあるように

その道に入ることを入門と

いうのでしょう

 

よく巡礼に出かけて

お寺の屋根とかは見えますが

門が見つからなくて

お寺の周りをぐるぐる

探し回ったことがあります

やはり

門が見つからないと

お寺に入れないし

ご本尊にお参りすることが

できません。

 

ちょうど講義では

「… 浄土に入れんのは

門がはっきりせんから

入れんのや。

堂々巡りしてね。

塀の縁ばっかりまわとる

門がはっきりせんね。

法門というようにですね

門を見つけるということが

大事なんだ。

その門、浄土の門といったら

心の世界の門です、内面的な

内面的な心の世界を

浄土という。

そういうところの門は

何かというと、

三解脱門。

三解脱門ということは

空ということで代表的なんだ

空の門をくぐって

内面的に豊かな世界という

ものに触れるです。」

 

その三解脱門というのは

「空・無相・無願」といって

これは三空門ともいわれます

三つの三昧という意味です

解脱へ入る門戸となり

方法となる三種類の禅定です

 

空解脱門

(人と法との空なるを観じ)

無相解脱門

(差別の相を離れ)

無願解脱門

(願求の思いを捨てる)

こういう門をくぐって

やっと仏さまの浄土へ

参ることができるといいます

 

こういう意味をあらわすのに

昔は直線的に三つの門を

作ったのですが

場所がいるために

三つの門を横一列に並べて

三門としたのです

例えば、知恩院や東福寺、

南禅寺などが有名です

 

何気なく潜っている門ですが

三門というように

三つも並べて

門を作ったのには大きな意味が

あるようです

人間のそのままの意識では

仏の浄土へは入れない

ということでしょう

 

塀は何の為にあるか

ということで

刑務所の塀は

出ていかないようにするため

お寺や学校の塀は

世間の雑用雑事を

持ち込まないためにある

ということを聞きました

 

お寺に入るときは

門の前で一礼して

手水場で手と口を清め

それから本堂へ進み

本堂で一礼して中へ進む

というように

今思えば私たちの意識が

いかに汚れているか

ということでしょう

そういう、

そろばん勘定の世界や

損得、好き嫌いの世界を

一旦括弧に入れて

心が清浄(禅定に入った)

ところで、ご本尊の前へ

額づくということです

 

やはり関門という言葉も

あるように

一つ一つの難関を対治して

『十地経』でいえば

地を進んでいくことでしょう

 

そのあと、『十地経』では

「空・無相・無願を修して

而も大功徳助道を」

というように続いていきます。

 

 

 

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