本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

諸行無常、何とも不気味な言葉

2021-12-12 20:04:27 | 住職の活動日記

「祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり」

という平家物語の一節

ということもあって

「諸行無常」ということは

誰でも一度は聞いた言葉で

はないでしょうか

でも、現代から見れば

なんともかけ離れたような

また不気味にも聞こえる

言葉でもあります

 

「諸行」の行は

行くという意味ではなく

私達が接するすべてのもの

難しくは

因縁、色々の条件によって

成り立っているもの

ということです

 

断捨離ということもあって

大切にしていたものを

捨てていくのですが

自分にとっては今まで

大切であったものも

条件が変われば

二束三文というか

まあ、ゴミになるよりまし

同じものでも

条件が変われば価値も

変わってきます

 

その持って行く途中で

落としてしまったら

それこそ不燃物扱になって

しまいます

それこそ立派な土鍋の釜も

ゴミになってしまいます

 

ですから一瞬たりとも

同じ条件であるという

ことはないのです

朝見た花も昼には変化し

夜には萎んでしまいます

同じ事で

形あるものは常に変化し

永遠であるということは

ないのです

 

このことは

なんとなく肌で感じて

知っているのです

その証拠に

アンチエイジングなるものに

余念がありません

昔のひどい歌ですが

 

「世の中の娘が嫁と花咲きて

嬶カカと萎んで婆と散り行く」

 

というのがあります

事実一瞬一瞬老化は始まって

いるのです

今日の自分と明日の自分では

一日老化している

 

「元の二十歳にしておくれ」

 

ということも叫びたいですが

一歩一歩老化していくのは

事実です

ですから、

すべてのもは一瞬たりとも

同じ姿であり続けることは

出来ないという

諸行無常ということは

当たり前の当然の事

なのですが

その事実を素直に

受け入れることができない

ということも私たちの性サガ

なのです

 

「諸行無常」に続く言葉は

「是生滅法」ゼショウメッポウ

これ生滅の方なれば、

ということで

生じたものは滅する

というのが法則という

ことなのです

 

このことは当然の事実として

分かっているのですが

事実としては

受け入れたくない

 

ここに

「諸行無常」という言葉が

不気味にも聞こえてくる

一面があるようです

心のどこかの隅では

分かっているのですが

その事実を聞きたくない

知りたくないという

心が邪魔をして

この言葉自体が現代に

そぐわなくなってきています

 

「どうせ私をだますなら

騙し続けて欲しかった」

 

という歌もありますが

事実は隠して

楽しいことばかりで過ごし

気がつけば

もう後がないという所まで

来てしまっています

騙しだましでこのままいくか

本当のことを知って

最後の一時をにっこり笑って

行くかは

私達に懸けられた

大きな問題のようです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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