本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

諸悪莫作 衆善奉行

2024-09-25 19:25:21 | 十地経

諸悪莫作(しょあくまくさ)

衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)

 

諸々の悪は作すことなかれ

多くの善はすすんでせよ

 

この言葉は

七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)

といって、

お釈迦さ間を含む

七仏から伝えられてきた教え

戒律の偈ということです。

また、この言葉は一休さんも特に

大事にされたようで

一休寺にはこの言葉が掲げて

あります。

 

有名な物語があって、

白居易(白楽天)は禅を好み

禅僧の鳥巣道林(チョウカドウリン)

に、仏教とは何か、と問うた

すると、その答えが

「諸悪莫作・衆善奉行」

ということを言った。

そんなことぐらい

三歳の子どもでも知っている

と、白居易が言うと、

子どもでも知っているが

それを実行することは80歳の

老人でも出来ないものだ、と。

 

鳥巣道林という人は

木の上で鳥の巣のようなところで

座禅を組んでいた、

寝むれば落ちる、

そういうところに身を置いて

修行したのでこの名前が

付いたのでしょう。

 

祇園祭の「白楽天山」は

この物語をモチーフにして

美しい織物が作られています。

 

この偈には続きがあって、

自浄其意(じじょうごい)

自ら其の意(こころ)を浄くする

是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

是が仏の教えである

と続いています。

 

 

このことを講義では

「これはね、何で有名なのかと

いうと、禅宗でいうとるけど、

ダンマパダの経言なんだ。

ダンマパダ『法句経』ホックキョウの

言葉なんです。

非常に古い仏説です。

これは龍樹が初歓喜地の解釈に

用いているんです。

それで有名なんですが。

 

その時に問題なのは善悪ではない

その意を浄くするということが

大事なんだ。

その意を浄くする

ということによって、

そこに一点の悪もない、

つまり善、

つまり最高善というのか、

悪というものの影を落とさんよう

な、善ならざるはないというよう

な世界が、その意を浄くする

というところに出てくる。

 

その意を浄くするというのが

仏道なんだ。

悪を捨てて善を求める

というのは世間道なんだ。

しかし

世間道を完成するものは、

世間道ではない。

仏道で初めて世間道が完成する。

こういうような意味です。

 

諸仏の呵(か)したまうところの

ものは、捨てると。

諸仏の誉めるところのものは、

即ち行ずると。

しかも常に行ずるというような。

呵というのは嫌ですね。

誉は妙でしょう。

だから呵するということは

悪というけど、

不善というけどもね、

ただ狭い意味の道徳的不善

というようなことでなしに、

好ましからぬものですね、

悟りにおいて。

 

それから歎ずるというのは、

ただ道徳的、倫理的な意味で、

モラリッシュな意味で善という

ことではなく、妙という意味です。

つまりいってみれば好ましい、

妙好という意味なんです。

ただモラルというような意味ではない。

 

だからして善悪の標準が

倫理というようなところで

いっとるんじゃないんです。

いえば、

仏の悟りというようなところから

善悪を決めている。

仏の去らしめるところと、

仏の勧むるところと、

こういうようなことがあります。」

 

諸悪莫作・衆善奉行

ということだけが

気になっていたのですが、

そうではなく、

自浄其意(その心を浄める)

というところに重きがあるという

ことは驚きでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする