今、話題の 「 ネイチャー誌 」
ちょうど読んでいる十地経講義が
『 自然 』ということが中心課題です。
「 自然 」 ということも、
東洋と西洋では
ずいぶん、考え方が違うようです。
まずもって読み方からして、
古くから東洋では 『 じねん 』
と読んでいました。
仏教でも 『 自然法爾 』
( じねんほうに ) という
とても大切な問題です。
修行時代、
掃いても掃いても落ちてくる落ち葉、
何とかならんもんかと、
木をゆすったり … と
三浦先生、
「 掃くほどに 風がもてくる
落ち葉かな 」
これが自然法爾ということですよ、
と教えられ、
その時は何とも理解できませんでした。
このネイチャー誌も歴史は
1869年の創設、明治元年です。
丁度この時代は世界的にも
「 人間と自然 」 ということが、
科学の世界でも、哲学においても
また宗教や文学においても
特に問題にされていたようです。
広辞苑を引いて見ても
結構丁寧に詳しく書いてあります。
一度見て見られると面白い !!
西洋思想では、自然を克服する
というような自然と相対峙している
ようなことを感じます。
だから自然に対するものの見方が
厳しく厳密で、
その解明していく力が強く
科学としての歴史もあるようです。
東洋では、とくに仏教では
自然ということを、自ずから然ある、
( おのずからしかある )
というように根源的な在り方を
問うているようです。
十地経の講義の中で
安田先生は、
「 如来というようなことが、
如は自なんだ、
来は然なんだ。
如来ということも自然 (じねん)
ということで、何か
超越的な人格というものじゃない。」
また、
「 縁起ということが、
縁より生ずるということは
自然という意味 」
そして、
「 仏教だけが自然を道理として
把握している。
諸法は因縁から生ずる。
と、自然ということを縁起として
把握してる。」
などなど、自然といっても
簡単な自然科学だけじゃなく、
また、万葉集のように自然を
感情的にとらえるのでもなく、
一つの道理としてとらえたところに
仏教の自然 (じねん) という
道理としてとらえたところは
仏教の思想です。
というように述べておられます。
やはり簡単にはわかる問題ではありません
が、重要な問題でもあります。
今は言葉の幅が薄っぺらくなってきているようです。
自然といえば、山や川やお天気など、
もっと、幾重にも深く、あちらからも
こちからからも見直してみるのも、
考え方に深みが出てくるのでは … 、
とおもっています。
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