本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

自然 Nature

2014-06-06 16:53:23 | 住職の活動日記

 今、話題の 「 ネイチャー誌 」

ちょうど読んでいる十地経講義が

『 自然 』ということが中心課題です。

 

 「 自然 」 ということも、

東洋と西洋では

ずいぶん、考え方が違うようです。

まずもって読み方からして、

 古くから東洋では 『 じねん 』 

と読んでいました。

仏教でも 『 自然法爾 』 

( じねんほうに ) という

とても大切な問題です。

 

 修行時代、

掃いても掃いても落ちてくる落ち葉、

何とかならんもんかと、

木をゆすったり  …  と

三浦先生、

 「 掃くほどに 風がもてくる

     落ち葉かな 」

これが自然法爾ということですよ、

と教えられ、

その時は何とも理解できませんでした。

 

 このネイチャー誌も歴史は

1869年の創設、明治元年です。

丁度この時代は世界的にも

「 人間と自然 」 ということが、

科学の世界でも、哲学においても

また宗教や文学においても

特に問題にされていたようです。

 

 広辞苑を引いて見ても

結構丁寧に詳しく書いてあります。

一度見て見られると面白い !!

 

西洋思想では、自然を克服する

というような自然と相対峙している

ようなことを感じます。

だから自然に対するものの見方が

厳しく厳密で、

その解明していく力が強く

科学としての歴史もあるようです。

 

東洋では、とくに仏教では

自然ということを、自ずから然ある

 ( おのずからしかある )

というように根源的な在り方を

問うているようです。

 

 十地経の講義の中で

安田先生は、

 

「 如来というようなことが、

  如は自なんだ、

  来は然なんだ。

  如来ということも自然 (じねん)

  ということで、何か

  超越的な人格というものじゃない。」

また、

 「 縁起ということが、

  縁より生ずるということは

  自然という意味 」

そして、

 「 仏教だけが自然を道理として

  把握している。

  諸法は因縁から生ずる。

  と、自然ということを縁起として

  把握してる。」

 

などなど、自然といっても

簡単な自然科学だけじゃなく、

また、万葉集のように自然を

感情的にとらえるのでもなく、

一つの道理としてとらえたところに

仏教の自然 (じねん) という

道理としてとらえたところは

仏教の思想です。

 

というように述べておられます。

 

 

 やはり簡単にはわかる問題ではありません

が、重要な問題でもあります。

今は言葉の幅が薄っぺらくなってきているようです。

自然といえば、山や川やお天気など、

もっと、幾重にも深く、あちらからも

こちからからも見直してみるのも、

考え方に深みが出てくるのでは … 、

とおもっています。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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