本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

お観音さんは晴れ !

2008-04-19 17:08:28 | 住職の活動日記
 16・17日と雨が続きましたが、やはりお観音さんは天気になります。

毎月18日は1時から、永代供養墓のお観音さまのお参りです。

お参りにお見えになる方も、 『 絶対、お観音さまは雨降りませんよね ! 』

というのが、合言葉のようになっています。

 18日、お観音さまの日は朝から夜まで、楽しいことが続きました。

それで、ブログを書く暇もありませんでした。


 お観音さまのお参りも終わり、永代供養墓の面白いアングルが見つかりましたので

アップします。

 小さく見えますが、お観音さまのレリーフは横が15メートル、高さが4メートルほど

の大きさなんです。

 そのお膝元に、現在約100基の永代供養墓がならんでいます。
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ワイルドフラワー

2008-04-17 22:09:34 | 住職の活動日記
 昨年10月15日 『 ワイルドフラワー 』 というのを鉢に蒔きました。

これは、種と肥料とがシート状のものになっていて、鉢の上において、後は水をかけるだ

けの簡単なシロモノで、一週間から10日で発芽、と書いてありましたが… 。

ワクワクしながら水をやりましたが、ぜんぜんその気配もありませんでした。 

 一応、説明では、ヤグルマソウ、ひなげし、かすみそう、などなど

はち一杯に咲いてくれるものと、心待ちにしていましたが、…

     『 やっぱりダメか ! 』

 と、半分あきらめてましたが、

 4月に入ってから雑草のような草が芽を出しました。  

だんだんすると、写真のような花が開いてきました。

 種を植えて、それが土に根をおろし、芽を出し、花を開かせるというのは、当たり前の

ようで、大変なことだな~と感心させられます。  

 寒い冬をのり越え、じっと時期がくるまで待っていたのですね。

10日やそこらで、パッと芽が出る、そして一面花畑、そんなことはないのですね。

花が咲くためには、それなりにいろいろ、大変な準備がいるのです。

私の知らないところで、密かに整えていたのです。私たちが半分あきらめていても、

コツコツと時期を待っていた。

 ほんとうに、あなたは、偉い !!  
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自然への畏敬の念 !  命への畏敬の念 !

2008-04-16 09:06:08 | 住職の活動日記
 昨日、熊本県知事 『 潮谷義子 』 さんが任期満了で退任されました。

この言葉は今朝の新聞には出ていませんでしたが、昨日のテレビの放送で、

最後の締めくくりの言葉として、 

 『 自然への畏敬の念を忘れずに! 命への畏敬の念を忘れずに ! 』

今後の県政にあたってほしいと言うことを述べておられました。

 坊主の私としては、この言葉が一番ひっかかりました。

このことは、政治とか何とか言うよりも、人間として一番根底なければいけない問題で

す。いまはすべてが、人間の知恵が優先して、何でも出来ると勘違いしてるふしがありま

す。よくよく考えれば、人間の力で 『 空気も、水も、小さな命でも 』 作ることは

出来ないのです。


 知事という方の存在はチョッと距離があって、どういう方なのか知りませんでしたが、

退任されるにあたり、この言葉を聞いて、やはり立派な方だな~と、認識を新たにいたし

ました。


 どなたかが、『 政治屋 』 ではいけない 『 政治家 』 にならなければ、

といっておられました。

 本当に、「 自然への畏敬、命への畏敬 」 を忘れた、 「 政治 」 になってし

まえばいけないと思います。


 潮谷義子さま 長い間本当にご苦労さまでした。心より御礼申し上げます。! 
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なぜ 猫というのだろう ?

2008-04-15 23:35:05 | 住職の活動日記
 師匠も猫好きで、東寺にいる時には常に15~6匹の猫の世話をしていました。

師匠も暇があると、猫とよく遊んでおられました。

突然 「 なんで、猫というか知ってるか ? 」

   「 さあ~ 」 と返事をすると、

   「 猫はな、よく寝るから、ねこ ( ねるこ ) というんだ 」

 これは、私の師匠のもう一つ先代の師匠の言葉だそうです。その先代の師匠もとても

ウィットのにたけた人のようです。


 昼チョッと時間があるので、本を読んでましたら、そばにきて、

「 銀太君 」 がドタッと寝そべりました。  

 おなかがすいたら、ワぁ~、ワア~、いってくるのですが、おなかがいっぱいになると

幸せそうに涅槃の行です。 

 あんまり幸せそうなので、チョッといたずらして、人形を抱かせたり、

足と手を引っ張って伸ばしたりして遊びました。

 また一回り大きくなったようで、手足を伸ばしたら1メートルの身長です。

 ( チョッと食べ過ぎ~! 寝すぎ~! )

 でもま~、幸せそうな顔を見てやってください。
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今週の言葉4/14~4/20

2008-04-14 11:06:26 | 今週の言葉
 失敗もおかげである   失敗して
        自分を知る  他人を知る  人生を知る


 『 失敗 』 ということば、気になる言葉です。失敗しない人はいないと思います。

その失敗をどう受け止めるかで、その人の生きかたが大きく変わってきます。

 今朝も、『 倖田來未 』 さんが復活ライブを開かれた、ということがニュースで流

れておりました。ちょっとした発言が問題にされ、2ヶ月あまり謹慎をしておられようで

す。本当に謙虚な態度でステージに臨んでおられました。

 彼女にとっては辛い出来事でしたけど、大きな心の糧になったことと思います。

仕事を取り上げられるというのは本当に辛いことです。師匠からの一番のお仕置きは

「 なにもしなくていい、部屋でじっと考えろ! 」 と言われることです。

 小さな失敗から、大きな失敗、人生が180度変わるような失敗もあります。


『 安田理深 』 という先生は 「 失敗をしないようにと思えば何もせんことだ!」

と、「 失敗を背負って立つ心が大事ではないか 」 とも言われています。


 失敗か、成功か、ということよりも、どちらにしても、人生を深めていくということが

なければ意味のないことです。成功したって、お金儲けをしたって、ただそれだけでは

人間として生まれたことの意味はありません。失敗したことにより、より人生が深まって

いくという事が、一番大事なことと思います。

 失敗したことにより、人生が深まってゆけば、授業料としては安いのではないか。


 落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる

 という歌が、失敗した時、心に響いた言葉でした。

「 失敗を拝む 」 という心境になったとき、人生も深まり、また新しい出発が出来る

のではないでしょうか。


 『 倖田來未さん 』 頑張れ !   エールを送ります。
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やっぱり阿蘇山はすごい!

2008-04-12 23:22:33 | 住職の活動日記
 昼から久しぶりに阿蘇の方へドライブしました。  

天気も上場、土曜日ということもあって、たくさんの車でした。

それも、こだわりのグループが多かったようです。

春ということでしょうか、やはり 『 バイク 』 です。 

それも大型の、ハーレーというのでしょうか。悠々と走っています。

ポルシェのグループもありました。


 はるかに拝む、お釈迦さまの涅槃の姿、本当に不思議です。

猿に似た岩とか、ありますが、言われて、「 ああそうか 」 というくらいです。

しかし、この阿蘇五岳は誰が見てもすぐに、お釈迦さまの寝姿に見えます。

 むかし、祖父からは 「 阿蘇山には物見遊山で行ってはいけない! 」 

「 阿蘇山はご神体なのだ ! 」 ときつく言われてました。

 ( しかし、行ってましたけど )

 やはり、阿蘇をご神体と仰ぐ、阿蘇修験の流を汲む、当院としては当然のことだったの

でしょう。

 今日改めて拝む 『 阿蘇五岳の涅槃像 』 はとても神々しいものでした。


 今日の下見は、夏にご縁のある方々との小旅行のためなのです。

お宿を見たり、コースを考えたりの、楽しい下見でした。 


 ( 写真の阿蘇五岳、涅槃像、左が頭なのです。が、写真ではうまく表現しきれてませ

   ん。実際はもっと違うのです。やはり場所とアングル、というより腕が違うのでし

   ょう。 )
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根を生やせ!!

2008-04-11 23:35:30 | 住職の活動日記
 9日、新職員の 『 歓迎会 』 をいたしました。

久しぶりの夜の町です。会もとても盛り上がりました。  

 一言、挨拶を、ということで 

『 根を生やせ ! 』 ということを話しました。


 写真の、しょぼい鉢植え、ガラスの容器に入っている鉢植え、

もともとは娘が育てていました。そのときはいろいろ可愛い観葉植物が植えてありまし

た。娘が東京へ行って、部屋の片隅で枯れかかっていました。

 かろうじて、芋のようなものは何とか緑の葉がでていました。水をやり、水をやり、

すると、だんだん元気付いてきました。   

 そこで、サツマイモの切って捨てる部分をのせてましたら、芽が出てきました。

先日、玄米を洗っていましたら籾が出てきましたので、またのせました。

するとまた、小さな小さな芽が出てきました。

 しかし、そのガラスの器の下の部分を見ると、ものすごい根がびっしりと生えていま

す。ほんの、一つの芽を出すにも、その根っこたるや、たくさんの小さな根を伸ばしてい

るのです。 

 そんなことに感心やら、驚ろきました。  


 ( 人が見たらが馬鹿みたいだろうな! とも思いますが、

   またゴミとして捨てられてしまいそうな鉢植えですが、私はその働きそのものに

   驚きと、命の不思議さ、また命への畏敬の念、を感じます。)


 石原さん ・岩崎君 ・中川さん  !!

本蔵院、菩提樹苑、沙羅の苑 に根を張ってください。!

花は後からきっと咲きます。まず、今与えられた仕事にじっくりと根をおろしてください

   頑張れ  頑張~れ  !
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久しぶりのクリちゃん

2008-04-11 23:01:52 | 住職の活動日記
 菩提樹苑の待合のソファーで大の字になって、安心しきって寝ている

「 クリちゃん 」 

 たまに行く私よりも、すっかり事務所の主になっていました。

他の猫達とチョッと違うようです。

事務所のみんなの手でミルクから育てられた 「 くりちゃん 」 は

抱っこしても、寝てるところを触って、大の字にして遊んでも、

私たちのされるがままです。

 人間を信頼しきっている 「 クリちゃん 」 のおかげでしょうか、

他の猫達も、一緒に事務所に入ってきて、遊んだり、椅子を占領しているようです。


 今後とも 「 クリちゃん 」 はじめ、ご縁があった猫たち、どうぞよろしく

お願いします。  事務所の皆さま職員の方々、そして菩提樹苑にお見えになる方々

可愛がってください。!
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三日見ぬまの桜かな

2008-04-11 22:45:42 | 住職の活動日記
 昨日以来の雨で、ほとんどの桜も散ってしまったようです。

菩提樹苑の桜並木も、一面の桜吹雪になって、

 『 散る桜 残る桜も 散る桜 』 

と言う状態でした。

 しかしながら、一本だけ、真っ白い桜が、雨にも負けず、

今が盛りとばかりに、白い花を蘭満に咲かせていました。

 ブログに向かう間もないほど、何かしら、雑用や法務で心が一杯になっていました。

この白い桜を見たとき、自然の働きの力をいっぱいにうけて、凛として咲いている花に

何かしら、力強いものを感じました。


 

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One is All   All is One

2008-04-07 15:13:34 | 住職の活動日記
 この言葉に出会ったのは大学一年生の英語の時間でした。

仏教大学ということもあり、鈴木大拙という方の 『 仏教の大意 』 という題で、

英訳されたものが教材でした。もともとは、昭和天皇に講義されたものが原本のようで

す。それが、世界各国の言葉に翻訳されました。

 その中に出てくる、「 一即一切  一切即一 」 という言葉の翻訳で、

「 one is all all is one 」 と訳されてます。 『 なんと、簡単な 』 と

言うのが実感でした。もっと立派な訳はないのだろうか? と思っていました。


 友達なったロシアの方もこの本を読んでおられ、この 「 one is all  」 は

とてもよくわかる。というのです。

 悲しいかな、私にはもう一つよくわからない。


 ところが、縁あって、キリスト教の立派な教会にお邪魔したとき、

「 なんという重圧感! 神という形なき存在を表さんがための、ありとあらゆる装飾や

その作り方なのか ?」 

 そこに身を置いた時、『 One is ALL  ALL is One 』 とい

う言葉が、迫ってきたのです。 『 One 』 とは 『 神 』 のことではないだ

ろうか。 勝手な解釈かもしれませんが、

 「 神はすべてである すべてのものは神のものである 」

 というと、ロシア人がよくわかるということが頷けます。


 しかし、仏教で言う 『 一即一切 一切即一 』 はチョッとニュアンスが違うよう

です。『 一 』 が有るということは 『 無量無数のありとあらゆる、一切の縁、の

賜物である 』 という、自分ということの存在の貴重さを、言っているように思いま

す。だから 『 One 』 は 『 わたし 』 ( 俺ではない ) ということに

なると思います。 

         ( 仏教の方が実存的ですね )


 なぜ、人の命は尊いのか? 

 それは、ありとあらゆる命を集めて、ありとあらゆる命を頂いて、すべての命の代表と

しての 『 一人 』 『 One 』 である、と言うことからでしょう。


 『 One is ALL 』 ( わたしはすべての命の代表である )

           という独立宣言 !

 そしてまた、

 『 ALL is One 』 ( すべてのご縁の賜物が自分である )

           という謙虚な、すべての命に対する感謝    

 ということを表しているのではないでしょうか。

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