本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 5/24~5/30 『 過ぎ去った日のことは悔いず 』

2010-05-23 22:03:54 | 今週の言葉
  過ぎ去った日のことは悔いず

 お釈迦さまの言葉です。

『 法句経 』 というお経の中にあり、

全文は

     「 まだこない未来にはあこがれず、

       とりこし苦労をせず、

       現在を大切にふみしめていけば、

       身も心も健やかになる 」


というふうに続いていきます。


   余談ですが、この 『 法句経 』 ( ほっくきょう ) は

   とても思い出深いお経で、高校生の時に出会いました。

   お釈迦さまの言行録です。

   とても感動して、これが本当の仏教ではないかと思ったのです。

   そして、東寺で三浦先生との出逢いがあり、

   私の人生を方向付けてくれたのです。


 テレビのインタビューで、百歳を迎えたお年寄り、

「 長生きの秘訣は 」

きっぱりと、 『 反省すれど 後悔せず 』 でした。

反省は前向きだけれども、後悔は後ろ向きだと、おっしゃるのです。


   なるほどと     思います。


長寿というと、 日野原重明先生は


  『 老いとは衰弱ではなく、

    成熟すること、

    死ぬ瞬間まで人生の現役 』


と、述べておられ、まさしく私たちも

こうありたいものと、密かに念じています。  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 『 鎹 』

2010-05-22 21:48:45 | 住職の活動日記
 この字も読めません。

聞いてみると、なるほど、昔はたまに聞く言葉でした。


    


「 かね 」 偏に 「 送る 」 という字からなっています。

「 送る 」 には 「 続ける 」 とか 「 つなぐ 」 という意味があるようです。

それで、ものをつなぐということで 「 かすがい 」 という字が生れたのでしょう。

大工さんとかが使う金具で 「 ホッチキス 」 の針を

大きくした金具で木と木をつなぐ役目をします。


 昔は 『 子は鎹 』 という諺のように使いました。


この漢字を知ったのはお店の名前からです。


     



 これはお店の前にある 「 看板 」 です。




      



 玄関には重厚な感じで作ってあります。




    



 名刺はちょっとおしゃれに作ってあります。


『 鎹 』 づくしです。

 「 木と木をつなぐ 鎹 のように、人と人とをつなぐ場所になれるよう

   季節のご提供してまいります。 ( 店主 ) 」

という思いを込めて開かれたのです。

若い店主なのに、結構難しい文字を店の名前にされたのです。

上手なネーミングには驚かされます。


 『 兎に角 』 という字が読めないかと思うと、

 『 鎹 』 という難しい、最近ではあまりお目見えしない言葉を捜してこられる。

言葉の使い方に へ~ と思ったり 驚かされたりです。




     



 このお店の名物 『 美人まんじゅう 』 です。

そのせいでしょうか ?    お店には美人ぞろいです。  



      



 おトイレに貼ってありました。


  「 アリが十 」 です。


江越にあるお店です。    です。


   『 京仕込みの伝統の技に

     美味創造の

     アイデアを活かして。 』

                      と店主の言葉です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 『 兎角 』

2010-05-21 22:21:51 | 住職の活動日記
 この字を見た若い子たち、

「 うさぎ 」 に 「 つの 」 一体どういうことだろう     

お母さんから届いたメール    

意味も不明、友達にも送ったりして推測したようです。

「 お母さんは怒っているのか ? 」

おとなしい優しいウサギに角が生えた、ということは    

 一応 「 ゴメンナサイ 」 と返事しようか 

 ま~ 「 ありがとう 」 といっておこうかと、


 いろいろ悩まれたということでした           


あとで、 「 とにかく 」  ということが判明したようです。


 この文字も死語になっているのでしょう。

言われてみると、不思議な字です。

『 兎角 』 ( うさぎにつの ) がなんで 「 とにかく 」

単なる当て字のようですが、 

『 兎に角 』 と一般的に使う  『 兎角 』  と、

仏教用語としても数多く出てくるようです。


 『 兎角亀毛 』 という言葉として出てきます。
  とかくきもう

兎に角が生えるわけはないし、また亀に毛が生えるわけでもない、

ということで、実在しないもののたとえとして使われるようです。


 『 言葉は妄想であって、兎角亀毛のようなものである 』

                   ( 楞伽経 りょうがきょう )


 仏教では一切が空であると説きます。

  水中の月  虚空の花  鏡中の像  空中の鳥跡

 などのように 「 あるけどない 」 

 すべてのもは実在があるようだけれども、本来は空なのだ、

 と説くのです。


夏目漱石も 『 草枕 』 の冒頭で

 「 智に働けば角が立つ 情に掉させば流される 意地を通せば窮屈だ。

   兎角この世は住みにくい。」

と述べています。

    ( 大谷大学 生活の中の仏教用語 163 ) に詳しく述べてあります。


また面白いのは

 『 弘法大師・空海 』 が24歳の時に著された

『 三教指帰 』 ( さんごうしいき ) という中で、

一つの例え話として、 

『 兎角公 』 という人の甥に 『 蛭牙公子 』 という不良少年がいて
                     しつがこうし

その少年の更生を 『 亀毛先生 』 にお願いするという、話があります。

この物語は空海が24才の時、何故、自分は仏教で出家するのかという

儒教と道教と仏教を比較して、述べておられるのです。

 
 このころから 『 兎角    』 『 亀毛   』 という言葉は

普通に使われていたのでしょう。

 私にも勉強になりました。  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨にあじさい

2010-05-20 22:14:52 | 住職の活動日記
 久しぶりの雨    大地に沁みこむように降ってます。

緑の木々はさぞかし大喜びのことでしょう。


 やはり 『 雨 』 に似合うのは 『 あじさい 』 ではないでしょうか。


( ということで、昨夜は書き始めたのですが、パソコンをいろいろ

  扱いし過ぎたせいでしょうか、とうとうすねて動かなくなってしまいました。)


 当院の 『 あじさい 』 もやっと色づき始めてきました。




      




 今年は花芽もたくさんつきました。

 当院にもあちこちに 『 あじさい 』 はあるのですが、

 この 『 あじさい 』 だけが、いろんな色を楽しめます。




     



 ここにカタツムリがいると、とてもいい絵になるのですが、

最近はカタツムリを見ることが少なくなりました。





        




ここのお二人さん、目線の先に 『 あじさい 』 があるのですが、

しばし眺めているのでしょうか。

 私も雨を ( めづる 、という言葉があったように思うのですが ) 眺めるのが

とても好きなのです。

 ボーっとして、雨が降るのを眺めていると、何故だかわかりませんが

心が落ち着いてくるのです。




      




 このお二人さんはどうだか、知る由もありませんが、

雨が降ると、ここの席がとても好きで、

結構、長い時間、雨を眺めています。


 不思議なもので 『 雨 』 は人々の心を落ち着かせる作用があるようです。 


   『 雨の日には雨を聴く

       春夏秋冬

     あしたもよろし

        ゆうべもよろし 』

 
 という、山頭火の歌があったように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベンツ 190SL

2010-05-18 23:13:34 | 住職の活動日記
 いつもお観音さんに行く途中、町内のことでお知り会いになって、

お互い車好き !  ということが判明。

 先日 「 防犯協会総会 」 で

『 ベンツのオープンカー 』 を購入したとのこと、

今日は楽しみにお邪魔しました。

しばし、車談義    



     




 デ~ンと車庫に鎮座ましましておられました。

 「 なんと美しい 」

 私たちの世代はこのような車に憧れたものです。

 でも、絶対に手に入らないものと思っていました。



     




 『 190 SL 』 の文字がとても品良く描かれています。

いろいろな角度から眺めながら、見とれていましたので




    



 このサイドミラーも小ぶりながら納まり具合がいいですよね。




     




 正面のこの顔も今見てもとてもおしゃれです。

50年前の車とは思えません。

今の車は、この車を横にしてみると、なんとも影が薄くなってしまうのではないでしょうか




     




 運転席はシートもパネル類もまったく新しいものになっているようです。

シャーシーは 『 BM 』 そしてエンジンも 『 BM 2000cc 』 を

積んで、それにエアーバッグもつき、運転のしやすさはまったく

今の車と同じになっているそうです。




     




 このラインもとても好きなところです。

いまどきの車では絶対に出せない、なんとも美しいふくらみ具合、

惚れ惚れと見とれてしまいます。



 もっともっと、話したいところですが、

なんとも今日は 『 お観音さまの日 』 ゆっくりはしておれません。

目の保養をさせていただきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聞くも涙 ! 語るも涙 !

2010-05-18 22:54:05 | 住職の活動日記
 18日はお観音さまのご縁日です。

日本最後の仇討ちの報謝塔がお祭りしてある、

小さな観音堂の祠では、毎月交代で地域の方が、

お守りしておられます。

 お勤めが終わると、いろいろな話に花が咲きます。


 今日の方、いつもウイットに富む巧みな話術で

みなさんをひき付けて 「 苦労話 」 を楽しくお話されます。

本当に今の私たちの感覚からすれば、とうてい辛抱できるようなことではありません。


 話すだけ話したら、

やおらバックから 『 マスク 』 をとりだし、口に当てられました。



     



 それを見た途端、みなさん大爆笑です。


かかりつけの先生から 「 しばらく口にチャックをはめときなっせ ! 」

と、頂かれたそうです。


 まだ、今年で87歳、身体中、切り刻まれるように手術をされたそうです。

「 この歳まで生きているのが、不思議  」 と

軽やかに語っておられます。

若いときの苦労を微塵も感じさせない、

とても素敵な方です。   


 振り返れば、ご苦労と心配の連続でしょう。

現在も進行形です。でもそんなことをすべて笑いに変えていかれる、

そのものの見方考え方に、頭が下がります。


 ますますお元気でいてください。      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

U のぞみ君 へ

2010-05-17 23:25:42 | 住職の活動日記
 ご本人であればわかると思います。

先日はご子息のご誕生おめでとうございます。

うっかりとご連絡先をお聞きするのを忘れてしまいました。

私のブログで申し訳ありませんが、

このページを読まれたら、是非ご連絡下さい。

お待ち申し上げております。


 それとは別に、今日も今日とていろいろたくさん書くことがあったのですが、

今まで、息子たちと熱く語っておりました。


  また、記憶に残っていれば今日のことやら書きたいと思っております。



      


のぞみ君       待ってま~す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の言葉 5/17~5/23  『 人を先にし自分を後にす 』

2010-05-16 23:35:20 | 今週の言葉
   人を先にし 自分を後にす
   ひと さき    じぶん  あと



 この言葉も師匠の三浦先生がいつも口にされていた言葉です。

そしてこの言葉が 『 西京極幼稚園 』 の幼児教育の根幹を

なしている理念ではないかと思います。


  「 人を先に 自分を後に 」

  「 人の喜ぶことを見て 我が喜びとする 」


 幼児期にいかに自我の抑制ということを教えていくか

ということが教育の根本としておられました。


 ブランコで順番に並んでいる時、年少さんの子どもが来たら

順番を譲ってあげる。

 「 ありがとう 」 といってブランコを譲ってもらった子ども

の喜ぶ顔を見て、

 そのことを 「 よかった 」 とうれしく感じる

そういう心を育てる、ことに心血を注いでおられたように思います。


 今の世の中では、そんなことでは生存競争についていけない、

と思われる方も多いと思います。

 しかし、自我の心が育つ前に、こういう

人に譲って喜んでもらうという心を経験しておくことは、

その人にとって人間としての一番大事なことを学んだことだと思います。


お釈迦さまは 『 遊行経 』 というお経の中で、

お坊様たちが仲良く修行していく、約束ごととして


   お互いにむつまじく教えを語り合うこと

   お互いに尊敬しあうこと

   お互いに礼儀を重んじること

などなど数項目があるようですが、その中の一つに


   「 人を先にして 自分を後にすること 」


ということが含まれています。


 時代に逆行する言葉かもしれませんが、

私たちが本来持っている、一番大事な心ではないでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かなしかりけり

2010-05-16 09:49:02 | 住職の活動日記
 今朝、表の参道に 「 うろこのはへん 」 が飛び散っています。

「 あっ やられた 」

 ちょっとした油断でした。

池には網を掛けたから大丈夫と思っていましたが、

わずかな隙間が開いていたのです。

 白鷺は毎日のようにきて、虎視眈々と狙っていたのでしょう。


          

「 金魚君 」 には悲しい災難です。


 白鷺にとっては、やっと今日の糧にありつけたのでしょう。

今日のところはおなかを満たしてゆっくり休めるのかもしれません。


 考え直して見ると、こういう事実は毎日繰り返されているのです。

地球上で、他の生き物から見たとき、

『 人間 』 という生き物は一番恐ろしい怪獣に見えるのではないでしょうか??

地上にいる生き物はゆうに及ばず、海の底までも、空飛ぶ生き物も、

ありとあらゆる生き物を我が食としています。 われわれ人間は !!


 地球が生れて46億年

想像もつかないような長い年月が流れています。

そして、昆虫やゴキブリが誕生したのが3億年ほど前、

 ( 私たちはゴキブリを見ると目の敵のようにしていますが、

   私たちよりもはるか昔から、この地に住んでいるのです。 )

詳しくはわかりませんが、

今の人間のような姿になったのは、約20万年まえ位でしょう。

その中でも、ここ100年ほどの間に

私たちは地球に眠っている資源をほぼ食い尽くそうとしています。

46億年という永遠に近い時間の中で、

私たちはたった100年でそのエネルギーを消費尽くしているのです。


 一体、人間は何をしてきたのか ??

ということを問わざるを得ないような気がします。   


 食べるだけ食べて、必要以上にエネルギーを使いまくり、

一面からいえば、地球にとっての 「 ガン 」 のような存在かもしれません。


 しかし、人間の命は地球よりも重い、といいます。

今から2000年から3000年ほど前に人類が

自分の存在に目覚めたのです。

 『 自分と入った何ものか ? 』

時を同じかのように、キリストもソクラテスもお釈迦さまも誕生しているのです。

同じように、

 「 人間に生れたことの意義を明らかにされた。」 

そして、

 「 すべてのものいのちの意義を明らかにされた。」

ということでは同じ命題に答えておられるのです。


同じことを

『 やなせたかし 』 さんは  『 アンパンマン 』 に願いを込めて


   『 なんのために うまれて

       なにをしていきるのか

         こたえられないなんて そんなのは イヤだ! 』

と、歌っておられます。


 『 ぼくらはみんな生きている 』  の歌の中でも、


1番の歌詞は   『 生きているから悲しいんだ … 』

となっています。

2番の歌詞で   『 生きているからうれしいんだ … 』


 と変わっていくところに、

ただ食って寝て、子どもつくって死んでいくだけなら、

これほど悲しいことはありません。


 人間に生れたことの意義を明らかにしてこそ、

  『 生きているからうれしいんだ 』

 となるのでしょう。


そこに、私たちが生きるために犠牲になってくれた多くの生き物たちの命、

そのいのちの意味を問うという、大きな責任と義務があるはずです。


  ただただ  『 ドカン 』  だけではすまされない

  大きな問題を孕んでいるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  ○ ○  ドカン !

2010-05-15 22:22:14 | 住職の活動日記
 というような、キャッチコピーの薬がありました。

たまに、薬屋さんとかで見かけることもあります。


 テレビの  CM   上手に言いますよね。

  「 毎朝 すっきり 」

  「 手放せません 」

  「 ええっ! こんなに 」

 何が、? と言わないところが絶妙なのでしょうか。

何に聞いたとは絶対に言わないのです。

しかし、何とはなしに想像してしまいます。

そして、効くような気がしてくるのが不思議です。


 ここ最近、また 『 玄米 』 です。

そして、 『 ヨーグルト 』  これは手放せません。

 
 ( 寝たきりになっても、ヨーグルトだけはチューブから入れて ヤ !

   と、みなに頼んでおります。)


ということで、

 私もここのところ快調です。

 『 毎朝すっきり 』 です。

 『 ええっ ! こんなに   。 』

 『 手放せません。 』

 『 なんとか ドカン 』 です。


  「 何が ? 」  と、つっ込まないで下さい。


以上、 ドカン  のお話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする