数日前にラジオで断片的に聞いたことで、正確なことはわかりませんが、
とても印象に残った話です。
小さい頃にテレビで放映される映画を片っ端からみたその人が、20年だか30年だかたってから、その記憶にある映画を片っ端から観たという話。
テレビで放映されたような映画なので、まず市販のDVDなどでは手に入らないものが多く、ほとんどは違法な映像を入手してみたとのこと。
テレビ放映はCMの時間の都合もあり、かなりカットされている場合が多いので、再度観ると、結末そのものが違っていたり、こんな話だったのかと驚かされることが多いとのこと。
20年、30年前は、今とは放映基準が異なり、こんな映画を放送してよいのかと驚くような作品も多いとのこと。
自分の好みや嗜好で選んだ作品ではなく、放映されたものを片っ端から観るということが、かえってその当時の自分の個人的体験や情況の記憶が「トラウマ」のように染み付いているとのこと。
そうした様々なB級作品を、自己の体験にからませて深く読み解いているところが実に興味深い話でした。
「トラウマ映画館」という本が昔出ていましたが、その本の著者の話なのかどうか、まだ定かではありません。
そんな面白い話のなかで、この人が自分の記憶をたどるとき、「その作品のディテールを記憶していない感動などというものは、ただ過ぎ去ったその場限りの興奮にしか過ぎない」
といったようなことを言っていました。
映画を観ても、本を読んでも、いつも、たくさんの感動と興奮がありますが、それが何だったのか、自分でそのストー^リーなり、ディテールなりを語れないようなものは、結局、ただ一時の興奮だけで、それも意味が無いわけではないけれど、やはり時が経つと何も残らないことが多いものです。
今、読んでいる本ですら、
ここはスゴイなどと感動していながら、数ページも先に進むと
もう前の驚きや感動は忘れて、新しいページの世界におぼれてしまっています。
これは必ずしも「記憶力」の問題ではありません。
(時々、悔しくなるようなひたすら記憶力の高い人を見ることがありますが・・・)
自分にとっての価値を高められるかどうかの問題だと思います。
毎度、思いつくままの雑感ですみませんが、そんな気がします。
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