かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

立派な計画より、大事なのは「やり抜く覚悟」

2024年11月24日 | これからの働き方・生業(なりわい)

道は近きにあり。
というけれど、その近くの存在こそが一番やっかいで、自分にとっての価値があること。

よく相方から注意されてるけど、頭で考えるほど答えは遠いことろにばかり持っていってしまう。

ところが自分自身が直面している足下の問題ほど、もっとも厄介であり、その足下の厄介な問題のなかにこそ、ほんとうの答えはある。

仕事を「ほぼ出来た」「だいたいやってる」「このくらいでいいだろう」で済ましている内は、そこに自分のクレジットを書き込むことは出来ない。
またそうした仕事で済ませている限りは、次の世代にバトンを渡すことにもならない。

これは決して完璧主義のことを言っているのではありません。

目の前のひとつをやり抜く、やり切る「覚悟」の問題です。

もちろん何をするにも他人の協力や理解は不可欠です。でもその場合でも、どんなに立派な企画書よりも、まずは自分自身の覚悟が第一であるということです。


どれだけエネルギーを注ぎ込めば答えが出るのかはまったくわからないし、誰もあてにすることもできない最後の1%、0.1%の詰めの作業が、自身のこれからの務めであると、先日、甥と話していて確信することができました。気づくの遅かったかもしれないけど😅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近、妙に鼻につく「自由」や「リベラル」という言葉

2024年11月18日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道

近代民主主義の父と呼ばれるJ・ロックが、「個人の自由」を唱え、それは海を渡ったアメリカの独立宣言で、「生命、自由及び幸福追求」の権利という表現に結実しました。

ところが、ロック自身の『市民政府論』の中では、「生命、自由、財産」の3つであらわされてます。
アメリカの『独立宣言』を起草したジェファーソンは、「財産」という言葉は崇高な建国の理念としてはあまりにも露骨すぎると感じるデリカシーがあったのか、これを「幸福追求」という上品な言い回しに書き換えた。(関岡英之)
日本国憲法第十三条の「生命、自由及び幸福追求」という文言は、このアメリカ独立宣言を丸写ししたものらしい。

フランス国旗の青、白、赤の三色は、自由、平等、博愛だそうだけれども、この三つ目が意外と「財産」であったり「博愛」であったり、「幸福追求」であったり微妙に変わる。

いまやアメリカ建国の父ジェファーソンのデリカシーなどどこへ行ったやら、「自由」=「財産」とばかりに、世界に「博愛」や「幸福追求」などはどこか隅っこの方に追いやられてしまいました。
さらに「自由」も「財産」の自由なら認められても、個人の尊厳をもとにした絶対的自由など、様々な「世間」や「公共」の圧力のもとに「自由主義陣営」などという恥ずかしくなるような言葉とともに厚かましく覆い隠されてしまいました。

トランプが登場していろいろ世の中を引っ掻き回してくれるおかげで、この「自由」という言葉の真の意味や実態が、ようやく問い返すチャンスがちょっとだけ出てきてくれた感じがして、それが個人的にはとてもありがたい。

というのも、最近はやたら「自由主義陣営」とか「民主主義陣営」、はたまた「リベラル」といったような言葉が妙に鼻につくようになってしまったから😅

毎度わけのわからないことばかりですみませんが、自転車には、他のあらゆる移動手段と違ってこの「自由」を不思議と感じることができます。

車でもモーターバイクでもなく、電車でも徒歩でもなく、なぜかグラベルロードバイクには、「自由」が最もしっくりと収まる。
理由を聞かれたら困るけど、そこには「自由」を得るために必要な大切な何かがあるように感じられるからかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする