かねてから部屋の襖に良寛とか空海の書のようなものを貼りたいと思っていましたが、なかなか良いものには出会えませんでした。
そんなおりに、年末恒例の伊勢崎の古本市で春信の浮世絵が何枚も出ているのにめぐり会いました。
それが1枚100円は妙に安いと思ったら、画集らしきものを断裁して一枚ずつわけたもので、
裏表の絵が1枚になったものでした。
これを襖に貼るには、裏を使うか表を使うか決断しなければなりません。
でも現代の画集であれば、コート紙への印刷になるところですが、艶のない紙であったので、これをそのまま襖に貼っても違和感ないことが予想されました。
早速ふちをカットして両面テープで仮止めしてみたら、とてもうまくおさまりました。
やはり、春信はいいですね。
日常空間にある暮らしの粋を極めてる感じ。
それが、毎日目にする襖にはとても合います。
江戸の人々の日常のなかに、このような季節を味わう感覚は、はたして庶民の間にどれほど浸透していたのでしょうか。
一枚一枚の絵をみていると、どんなにそれが一部の人であったとしても、その着物の柄や着こなし、背景の草木や建物、どれをとっても、もしも現代に再現しようとしたら最高峰の世界がそこに、日常空間として営まれている事実だけで、太刀打ちできない世界であることを思い知らされると思います。
そえられた歌の楽しみ方さえ、これらの絵の世界に比べたら、現代ではどう張り合っても薄っぺらな教養にしかならない。
松風の 音だに秋は さびしきに
衣うつなり 玉川の里
源俊頼 (千載和歌集)
これは、きちんと書き記しておかないと、聞かれたときに答えられない。
秋きぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる
藤原敏行 (古今169)
こひしさは をなし心に あらずとも
今宵の月を 君みざらめや
源信明朝臣 (新古今)
「春信一番、写楽二番」なる企画もかつてあったようです。
当初、襖に貼るには写楽は派手すぎるかと思いましたが、その心配は無用でした。
写楽は居間ではなく、事務所として使っている部屋の襖で使いました。
これでまた、うまい酒がのめる。
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