淨西寺に残る四境の役砲撃戦跡
周防大島町の東の端、由宇地区の淨西寺を散策しました。この寺には徳川幕府による第二次長州征討の際、幕府軍艦からの砲撃による砲弾跡が今も残っています。松山から最短距離のあるこの地に、幕府の命により松山藩が最初に攻撃し、上陸したそうです。
このお寺には阿弥陀(あみだ)、観世音(かんぜおん)、勢至(せいし)の三尊碑として三基の石塔婆がありましたが、今は勢至が失われて二基が残っています。この碑は鎌倉時代の1201年に建てられたことがわかっており、山口県の石造物の中で、もっとも古い年号が刻まれているものです。
淨西寺の境内から南を眺めると、四国松山がすぐ目の前です。
油宇の淨西寺
淨西寺から鯛の峰
宝幾崎(保木山)
四国までわずか
淨西寺石塔婆
石塔婆の案内
幕府軍艦からの砲撃跡
淨西寺裏のモニュメント