宮ノ峡(みやのかい)三次人形
宮ノ峡三次人形は嘉永7年(1854)から大正7年頃までの間約60年間作られたそうです。現存するものは数少なく、貴重な逸品です。この三次人形は寛永年間に三次藩祖浅野因幡守長治公が我国忠臣孝子の像を作って家臣に与えたのが始まりとされています。
広島県の三次から君田へ向かう途中には「三次人形発祥の地」の石碑があり、碑文には「大崎忠右衛門長信は石川銀山御料組式村の浜田長浜において人形の業を修め嘉永7年申(1854)5月当三次宮ノ峡に来住し窯を築き、三次人形屋元祖となる」と刻まれていました。
今回、三次人形の販売店で「現在は窯元は一つ残っているだけ」との説明を受け、貴重な伝統工芸品が長く伝承されることを願うばかりです。
三次人形(宮ノ峡)発祥の地
三次人形販売店の「まつもと」さん
三次人形
天神