寺社・仏閣巡りをしています。w
琴の尾岳から離れて、のぞみ公園の近く、舟津地区にやってきました。
漁港に車を置かせてもらって、周辺を散策していると立派な神社を見つけました。
神額には「鹿神社」と書いてあります。
ところが本殿近くの神額には「金比羅宮」と。
?どういう事だろう?
とりあえず謂れなんか分かりませんので、図書館へ行って調べてみました。
多良見町の郷土誌に「鹿神社」の記載はあったのですが・・・。
『志賀(鹿)神社』
「この神社は舟津の丘の突端にあるが、今は鹿神社と書いてある。
祭神はもとは志賀大神(ワダツミ;日本神話の海の神様)、
屋船豊受大神(ヤフネトヨウケノオオカミ;食物の神様)である。
今から300年ほど前、貞享二年(1685年)二月十日吉祥日の建立である。
志賀神は漁民の祭る船上安全を守る神とされている。」(多良見町郷土誌)
元は他の場所にあったのを今の位置に移したそうだ。
と、ここまでは分かったのですが、ここから先の話が神社とはあまり関係のない話で。
なぜ「志賀」が「鹿」表記に変わったのか、なぜ二枚目の神額が「金比羅宮」なのか、その辺りには一切触れていませんでした。
おそらく近辺の郷土史に詳しい方なら分かるのでしょうが、書籍や文章として残していかなくては、いづれは消え去ってしまうのでしょうね。
琴の尾岳から離れて、のぞみ公園の近く、舟津地区にやってきました。
漁港に車を置かせてもらって、周辺を散策していると立派な神社を見つけました。
神額には「鹿神社」と書いてあります。
ところが本殿近くの神額には「金比羅宮」と。
?どういう事だろう?
とりあえず謂れなんか分かりませんので、図書館へ行って調べてみました。
多良見町の郷土誌に「鹿神社」の記載はあったのですが・・・。
『志賀(鹿)神社』
「この神社は舟津の丘の突端にあるが、今は鹿神社と書いてある。
祭神はもとは志賀大神(ワダツミ;日本神話の海の神様)、
屋船豊受大神(ヤフネトヨウケノオオカミ;食物の神様)である。
今から300年ほど前、貞享二年(1685年)二月十日吉祥日の建立である。
志賀神は漁民の祭る船上安全を守る神とされている。」(多良見町郷土誌)
元は他の場所にあったのを今の位置に移したそうだ。
と、ここまでは分かったのですが、ここから先の話が神社とはあまり関係のない話で。
なぜ「志賀」が「鹿」表記に変わったのか、なぜ二枚目の神額が「金比羅宮」なのか、その辺りには一切触れていませんでした。
おそらく近辺の郷土史に詳しい方なら分かるのでしょうが、書籍や文章として残していかなくては、いづれは消え去ってしまうのでしょうね。