今が2005年であることは承知している。世の中は万博ムードで、メディアもかまびすしい。が、ぼくにおける万博はやはり70年の大阪のもの。ちょうど今の息子と同じ歳で迎えるというのも興味深いものがある。
あの頃、何かをしでかしたい、などと大それた思いを抱くこともなく、それどころか、等身大の自分がどれほどのものかも見えず、まるで虫のように好奇心という触覚を働かせていた。お祭り騒ぎもどこかよそ事で、自分の知りたがっているものを探すのに地べたを這いずり回っていた。もっと正確に喩えると、見知らぬ駅に無理やり降ろされた、空ッケツの財布しか持たない旅人のようだった。
70年代が始まったのだ、という実感は、FMラジオから流れてくる、アン・マレーの「スノー・バード」を聴いた瞬間だ。
女性にしては低音の利いたヴォイスを響かせ、さらりと歌いあげているといった雰囲気のこの歌が、風穴を開けてくれたのだ。それは自分の中で何かが始まるといった楽天的な予感めいたものだったかも知れない。
あの万博開催で、多くの人のまなざしが海の向こう側に注がれたのは間違いない。世紀のイベントから隔たっていたぼくは、カナダ出身で、小学校の教師あがりというカントリー歌手によって、ナッシュビルからアパラチア山脈にかけての広大な未知の世界に引き寄せられたのだ。
息子が言うには、「『さつきとメイの家』ぐらいかな、見てみたいのは…」。いくつかの魅力的なパビリオンがありそうだが、現代の若者にとっては万国というレベルに目新しさは見出せない。35年経って情報化社会はあまたの知識を呑み込ませてくれたのだ。世界は近くなり、行かずとも知らしめる。
一曲で感動し、揺り動かされた自分が、チープで、ショボク思えてならないこの頃だ。
春宵、アン・マレーのThe Bestをしみじみと聴き入ることにする。