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パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

町が学校だった時代があった

2005-03-29 23:35:32 | 本と雑誌
見るまえに跳べ 」。
若い頃はこの言葉をモットーに何にでもチャレンジしてきたつもりだ。

知命をすぎると、
「そんなこともあったなぁ~」
「嘘でしょ」
妙に臆病な自分を発見する。
いきなり跳んだところが、着地点を見出せずに、切り傷、擦り傷どころか、背中にいっぱい矢が刺さったりもしたからか。
ぼくも学ぶ動物であったらしい。痛さを知ったからではない。多くは赤面して恥ずかしさに自分がいたたまれなくなったからだ。

もう一つ、「常識への挑戦」というのもあった。反抗期の確かな徴だ。学生運動が盛んな時代で、「反体制」という言葉が巷に溢れていた。社会に対する矛盾に敏感で、ささいなことにでも尖がっていた。生意気盛りだった。
ある日、古老の一言が強烈に効いた。
「常識への挑戦、言う前に、常識をもっと学ばなあこかさ(=いかんわさの方言)」
町では名高い博識の人で、反骨の士として知られていた。何かを言えば、倍になって帰ってきた。あと一言突き刺さったらならば、死んでしまうというほどの辛らつさを含み、それでいて表情は穏やかで、底にはユーモアのセンスがオブラートに包まれていた。不思議なひとだった。ひとは否定する言葉をふんだんに持つことができるものだが、温もりに満ちた含蓄のある言葉を発する人は稀だ。こういう人こそタレントと呼ぶべきかも知れない。

今、出逢えたことの幸せをかみ締める。
昔、町にはいつもガミガミ子どもを叱る頑固な爺さんがいたものだ。きっとリュウマチかの持病を抱えて鬱憤が溜まっているのだろう、ぐらい決めつけていた。今、分かるのだが、大切なことをぼくたちに教えてくれていたのだ。銭湯に行けば、湯のつかり方を口うるさく叩き込む爺さんがいたものだ。背中に刺青を背負った、その爺さんが学校で学べないことを教えてくれていた。

町が学校だった時代があった。
今、高度な情報化社会の真っ只中にいる。幸せなことに、双方向で知識やデータを簡単にやりとりできる。しかし、人間関係において大切な知恵というものを伝えきれていないような気がしてならない。