夕刻、末っ子から電話があった。
「もし、空いてるなら、しよ!」
キャッチ・ボールのお誘いだ。ここんとこ続いているふたりの定番儀式だ。ぼくが駄目なときは長男を誘っているらしい。キャッチャー・ミットを片手に家から2分ほどの小学校の校庭に歩いて向かう。
軽く10球ほどで、弱冠はたちの若者と知命を越えたオヤジがすっかり野球少年に戻っている。30球を超えると汗ばむ息子に対し、汗のかきようが遅い分、早くも息があがってくる。そこを抑えてしゃがむ。昔とった杵柄といおうか、自分は捕手向きにできている。乾いた捕球音が校舎に跳ね返って小気味よい。だが、腕の振りを徐々に上げながら投げこまれるにつれ、メッキが剥がれてくる。
「ポロっ」
「あれっ?」
「今の100キロは出てるかな?」
「なんの、なんの80キロがええとこちゃうか」
負け惜しみと憎まれ口だけは達者なオヤジだ。正直、手のひらが痛い。
「ぼく、ピッチャーがしたかったなぁ」
中学の3年間をベンチ要員で戦った息子の本音だ。
「あのころ140センチぐらいやったからなぁ…」
今やぼくと肩を並べ、今にも越されそうだ。少年の頃をもっと付き合ってあげればよかったのに…、すこし苦い思いにとらわれる。見上げれば、ぼくが児童だった時代からすでに巨木だった樟がなお高くシルエットを際立たせている。
ほかの子よりもずいぶん遅れて、初めて自転車に乗れた瞬間に立ち会った。そういえば、それからというもの、忙しさのせいにしてかまけていたことに気づく。ぼくが後ろで支えていると信じるわが子は必死にペダルをこいでいた。やがて楠の木陰で煙草をくゆらす父親を見つけた瞬間、自分がしでかしたことを知った刹那の晴れ晴れとした表情は今でも忘れない。
「もし、空いてるなら、しよ!」
キャッチ・ボールのお誘いだ。ここんとこ続いているふたりの定番儀式だ。ぼくが駄目なときは長男を誘っているらしい。キャッチャー・ミットを片手に家から2分ほどの小学校の校庭に歩いて向かう。
軽く10球ほどで、弱冠はたちの若者と知命を越えたオヤジがすっかり野球少年に戻っている。30球を超えると汗ばむ息子に対し、汗のかきようが遅い分、早くも息があがってくる。そこを抑えてしゃがむ。昔とった杵柄といおうか、自分は捕手向きにできている。乾いた捕球音が校舎に跳ね返って小気味よい。だが、腕の振りを徐々に上げながら投げこまれるにつれ、メッキが剥がれてくる。
「ポロっ」
「あれっ?」
「今の100キロは出てるかな?」
「なんの、なんの80キロがええとこちゃうか」
負け惜しみと憎まれ口だけは達者なオヤジだ。正直、手のひらが痛い。
「ぼく、ピッチャーがしたかったなぁ」
中学の3年間をベンチ要員で戦った息子の本音だ。
「あのころ140センチぐらいやったからなぁ…」
今やぼくと肩を並べ、今にも越されそうだ。少年の頃をもっと付き合ってあげればよかったのに…、すこし苦い思いにとらわれる。見上げれば、ぼくが児童だった時代からすでに巨木だった樟がなお高くシルエットを際立たせている。
ほかの子よりもずいぶん遅れて、初めて自転車に乗れた瞬間に立ち会った。そういえば、それからというもの、忙しさのせいにしてかまけていたことに気づく。ぼくが後ろで支えていると信じるわが子は必死にペダルをこいでいた。やがて楠の木陰で煙草をくゆらす父親を見つけた瞬間、自分がしでかしたことを知った刹那の晴れ晴れとした表情は今でも忘れない。
贖罪のひとつと数えたいキャッチ・ボールだが、息子は息子で運動不足の父親を何とかしたらなぁと気づかってくれているに違いない。
そうなんだよなぁ、
誰も君がしてくれるようにはぼくを愛せないのだし、誰もぼくがするようには君を愛せないのだよ。
言い訳にもならないだろうか。
「Nobody Loves Me Like You Do」は、昨日のブログで紹介したアン・マレーの「 The Best...So Far 」の一曲だ。
今夜は、借りっぱなしになったままの、ロバート・B.パーカーの「 ダブルプレー 」を開くことにしよう。