昨日からの重苦しいニュースをよそに
今日の志摩半島は皮肉なくらい秋晴れです。
落札日がちょうど9月17日、いわゆる917である。日本国中に重い空気が垂れ込めていた。そんな場合か、と自分でも気後れしていた。間髪いれずに送付したとの連絡が入り、迅速かつご丁寧な対応に安堵したのだが、メールには次のようなメッセージが寄せられていた。
昨日のニュースは僕ら同級生にとっては、とても辛いものでした。めぐみさんの消息の件が国会の場に上がって十年くらいになると思いましたが、その頃から、署名運動や桜井よし子さんを招いての講演会などをやってきました。
当時から、あまり騒ぎ立ててかえって裏目にでてしまわないかと友人たちと心配をしていましたが、15歳くらいの娘さんがいること、その子が5才か6才の時にめぐみさんが亡くなったという今回の情報を聞いて、もしやという気持ちが拭えずにいます。
つまらない話につきあわせてしまいました。申し訳ありません。
オークションIDでしか相手を知らなかったことに気づき、慌てて出品者の住所を確認すると、紛れもなく新潟の方であり、横田さんめぐみさんの同級生であると確信した。ブラウン管の向こう(報道)ではない、現実に身近に遭遇した方の筆致に臨場感があり、偶然とはいえ不思議なタイミングにさらに複雑な思いにとらわれた。
あれから3年、5人の家族が帰ってきたものの、ぼくたちが待ち望む進展はない。その間、今日まで、謝罪とともに認めた拉致の事実に対する彼の国の対応を存分に見せてもらった。ぼくたちは苛立ちを募らせながら凝視してきた。
「返せ、( ゜Д゜)ゴルァ」
が正直な気持ちであり、今も衰えない。
そして、この時間の流れは、
こんな国とは国交したくない
との意を強くするのに充分役立った。
仲良くなんかしたくない
友だちは選びたいものだ
これが本音であり、経済援助は返って無辜の民を苦しめ、さらに悲惨な結果に貶めるだけである。何故、いまだに万景峰号の入港を阻止しないのか、まるで信じられない。さらに言えば、3年の月日は、日本国民をナショナリスティックな方向に向かわせる…ぼくが言うのではない、中国が言っている…手助けをした。それを危惧する国があるとしたら、
「我々に言ってくれるな、北朝鮮に言えよ」
と諌めてあげたい。
ここんとこ胸にある気持ちを溜め込んでばかりいた。ぼくにとっての9月17日の過ごし方であり、たとえ世論が冷めようと、この国の片田舎でぼくは一人になっても呟き続けるつもりだ。音楽を意に介さない連休である。歌うとしたらこれしかない。
「返せ、( ゜Д゜)ゴルァ」
決して忘れないことがある。