取材は3月1日ですが、何のかんのと遅れました。
いきなりタイトルと違う建物です。ここは盛岡市の清水町、旧名は上衆小路にある石井県令邸です。南昌荘の近くにあるので、ついでに撮影してきました。この建物、なんと日本初の完全洋館です。それってウソだろうと思われるかもしれません。日本人が設計していないという意味です。それ以前の洋館は、結局日本人大工ががんばって作ったもの。これはオランダ人に設計を依頼して、刑務所の囚人を使って建てられました。確か明治の一桁台の頃でしょうか。
たしかレンガを輸入したと思っていましたが。
半地下があって、ワインが置いてあったそーです。
またまた違う建物。盛岡で一番大きな料亭の裏。こういった建物は増改築されて使われた歴史が見えます。建物の裏はそういった面白さがあります。
さて南昌荘です。この辺りは、さきの県令邸とか料亭とか古い建物が残っています。この建物は明治18年、盛岡の豪商が建てたものです。それが人手に渡って渡って5代目の時にマンション建設の話しが持ち上がり、現在のいわて生活協同組合が買い取ったもの。
庭ですが、さずがに雪なので回れません。
この家なのですが、人手に渡ったといっても全員がとんでもない大金持ち。この家を持つのが盛岡のステイタスなようです。なので生協が買ったというのはある意味すごい事。
まあ石井県令邸や料亭もそうですけど、新渡戸稲造の生家や以前中央公民館で出てきた中村家もこの近くです。街にまっすぐ向かうと呉服町、盛岡の金融の中心地だったエリアにつきます。
現在会議や食事の出来るスペースとして利用されています。喫茶もありますのでゆっくり楽しめます。
5代に渡って人から人へと移ったので、増改築の跡がかなりややこしい事になっているようです。この廊下も、広げられたようです。GHQに接収されて外階段がついた事があるとも聞きました。床材や天井なんかよく見ると建築当初からかなり違うようです。
さてひなまつりの展示があります。まづは花巻の土人形から。素朴で良い味わいです。
古いおひなさま。
こうゆう飾り方もあるのかと、感心します。
こんな感じで展示しています。ギッチギチに並んでいないので、ゆったりと楽しめます。
さてさきほど手前に見えていたおひな様は、押し絵で出来ています。なんでも名人だった父が娘のために作ったものだそうで、とても良く出来ています。他にも和裁が得意な母が作ったものとか、良い話しが一杯です。
こけしのおひな様。子供が遊びやすいようにと、親が選んだもののようです。何か良い話しですが、娘としてはどうなのでしょうか。やっぱり豪華な方が良かったのではないのでしょうか。
でもやっぱり、素朴さの中に一杯の愛情が詰まっています。とてもかわいらしいです。
とにかくいろいろ。
この建物の面白い所は、3つの棟から出来ていて、真ん中が中2階というくらいに高床になっています。地形等もあるようですが、通常の数寄屋作りにはなっていません。実際柱や建具や床を見ても、珍しい材とかではなく通常のものの中から吟味して選んだという感じです。隠釘なんかも使っていません。見せびらかす建物ではなく、どう使うのかをとても考えて作られたのではないのでしょうか。この部屋では庭を見ながらの宴会、こちらでは庭にも出て茶室に行けるとか。
残念ながら生活空間だったスペースは取り壊されていて、往時をたどる事は出来ないのですが、いろいろと想像できる建物です。
さて今回私にとって目を引いたおひな様。創作人形と言おうか、なんと言おうか、お内裏様がいません。
五人囃子が、イケメン。コンセプトは面白いのですが、もの凄い拒絶をする人もいました。
まあ娘に与えたら、行きそびれそうな感じですね。25歳以上限定。
出来れば、お内裏様が官女を従えているのも作って欲しかったな。もちろん官女3人は、愛花と凛子と寧々キャンディーズですね、うん、やっぱり。
天保雛も当然あります。
初めに建てた人が近江商人だからなのでしょうか、質実剛健といった建物です。そのうちまた訪れたいものです。
さてこの近くには、古い家を面白く使っている所があります。「邑計画」というコンサルタント会社です。地域おこしとかで活躍する会社です。それがこの100年前の建物で、仕事をしています。いろり端とか残して使っています。仕事への矜持を感じます。
下の橋の雪捨て場が、暖かさで少し低くなったように見えます。さて明日はひな祭りです。
オマケ
重曹の代わりにドライイーストで、抹茶がんづきを作ってみました。発酵時間を長めに取るのがいいようです。
いきなりタイトルと違う建物です。ここは盛岡市の清水町、旧名は上衆小路にある石井県令邸です。南昌荘の近くにあるので、ついでに撮影してきました。この建物、なんと日本初の完全洋館です。それってウソだろうと思われるかもしれません。日本人が設計していないという意味です。それ以前の洋館は、結局日本人大工ががんばって作ったもの。これはオランダ人に設計を依頼して、刑務所の囚人を使って建てられました。確か明治の一桁台の頃でしょうか。
たしかレンガを輸入したと思っていましたが。
半地下があって、ワインが置いてあったそーです。
またまた違う建物。盛岡で一番大きな料亭の裏。こういった建物は増改築されて使われた歴史が見えます。建物の裏はそういった面白さがあります。
さて南昌荘です。この辺りは、さきの県令邸とか料亭とか古い建物が残っています。この建物は明治18年、盛岡の豪商が建てたものです。それが人手に渡って渡って5代目の時にマンション建設の話しが持ち上がり、現在のいわて生活協同組合が買い取ったもの。
庭ですが、さずがに雪なので回れません。
この家なのですが、人手に渡ったといっても全員がとんでもない大金持ち。この家を持つのが盛岡のステイタスなようです。なので生協が買ったというのはある意味すごい事。
まあ石井県令邸や料亭もそうですけど、新渡戸稲造の生家や以前中央公民館で出てきた中村家もこの近くです。街にまっすぐ向かうと呉服町、盛岡の金融の中心地だったエリアにつきます。
現在会議や食事の出来るスペースとして利用されています。喫茶もありますのでゆっくり楽しめます。
5代に渡って人から人へと移ったので、増改築の跡がかなりややこしい事になっているようです。この廊下も、広げられたようです。GHQに接収されて外階段がついた事があるとも聞きました。床材や天井なんかよく見ると建築当初からかなり違うようです。
さてひなまつりの展示があります。まづは花巻の土人形から。素朴で良い味わいです。
古いおひなさま。
こうゆう飾り方もあるのかと、感心します。
こんな感じで展示しています。ギッチギチに並んでいないので、ゆったりと楽しめます。
さてさきほど手前に見えていたおひな様は、押し絵で出来ています。なんでも名人だった父が娘のために作ったものだそうで、とても良く出来ています。他にも和裁が得意な母が作ったものとか、良い話しが一杯です。
こけしのおひな様。子供が遊びやすいようにと、親が選んだもののようです。何か良い話しですが、娘としてはどうなのでしょうか。やっぱり豪華な方が良かったのではないのでしょうか。
でもやっぱり、素朴さの中に一杯の愛情が詰まっています。とてもかわいらしいです。
とにかくいろいろ。
この建物の面白い所は、3つの棟から出来ていて、真ん中が中2階というくらいに高床になっています。地形等もあるようですが、通常の数寄屋作りにはなっていません。実際柱や建具や床を見ても、珍しい材とかではなく通常のものの中から吟味して選んだという感じです。隠釘なんかも使っていません。見せびらかす建物ではなく、どう使うのかをとても考えて作られたのではないのでしょうか。この部屋では庭を見ながらの宴会、こちらでは庭にも出て茶室に行けるとか。
残念ながら生活空間だったスペースは取り壊されていて、往時をたどる事は出来ないのですが、いろいろと想像できる建物です。
さて今回私にとって目を引いたおひな様。創作人形と言おうか、なんと言おうか、お内裏様がいません。
五人囃子が、イケメン。コンセプトは面白いのですが、もの凄い拒絶をする人もいました。
まあ娘に与えたら、行きそびれそうな感じですね。25歳以上限定。
出来れば、お内裏様が官女を従えているのも作って欲しかったな。もちろん官女3人は、
天保雛も当然あります。
初めに建てた人が近江商人だからなのでしょうか、質実剛健といった建物です。そのうちまた訪れたいものです。
さてこの近くには、古い家を面白く使っている所があります。「邑計画」というコンサルタント会社です。地域おこしとかで活躍する会社です。それがこの100年前の建物で、仕事をしています。いろり端とか残して使っています。仕事への矜持を感じます。
下の橋の雪捨て場が、暖かさで少し低くなったように見えます。さて明日はひな祭りです。
オマケ
重曹の代わりにドライイーストで、抹茶がんづきを作ってみました。発酵時間を長めに取るのがいいようです。