4月の日銀金融政策決定会合以来ガンガンと円安株高になっている。まあそれを冷たく見ている。これで景気が良くなったとしても、私が景気が良くなったと感じるまでは2年はかかるだろう。復興景気で東北はわいていると、経済指標ではそうなのだが、実感として全くない。
アベクロニクスの第一の矢、通貨供給量の増大なのだが、これはレーガン・サッチャー時代から続いている。当時日経新聞を毎日読んでいたので、この議論は記憶にある。これは経済指標のうち通貨供給量の制御で経済を制御しようというものだ。マネタリスムと言う。当時の議論では景気も良かった事もあり、どちらかと言えば民間の増大したマネーに今までの金融政策が通用しなくなった事が背景にある。その上レーガン・サッチャーは完全自由主義経済の実現を考えていたので、マネタリスムの単純な手法と親和性が高かった。
当然反発はある。というかそんな単純な方法で良いのかと誰もが思った。なので延々に議論は続くが、結果として従来の方法と通貨供給量の動向を需要指標とする、通常型が選択された。
次ぎに来たのがバブル崩壊と景気低迷だ。ここでマネタリスムとケインズの対決になる。ここでは互いに良い議論になったと思うが、単純な手法故に政治家にとっては面白くなかった。そこでケインズ型のバラ巻き政策が行われる。
結果はご存知だろう。ただここで一番の違いは、量だった。レーガン・サッチャー時代は誘導するという意味があったが、民間資本が更に増大してマネタリスムの手法でも量がないと意味が無くなって来たのだ。とはいえ財政問題があるのでケインズ型も限界がある。互いに限界がある事を知りつつの議論になっていたと思う。
これが表面化したのが、やはりリーマンショックだ。どんな技法も限界があると言う事を示したものだ。更に民間資本が国家を上回った。制御不能になりつつある。単純に見ても財務相・中央銀行総裁会議、つまりG8がG20に増えた。主要プレイヤーが増えたのだ。もはや意見がまとまる事はなく、実行力が無くなっている。いやG8ではもはや制御不可能になっていた、だからメンバーを増やしたのだ。そう考えた方が良いだろう。そうでもしなければ行けなかった。
日本では最後の手段がマネタリスムだった。正確に言えばもう既にこの手法は織り込んであった。前日銀白川総裁も実際にやっている。ただ規模が違うだけだ。
今のアメリカの金融政策はその点でも凄いのだが、市場に空気を作って一気に蹴倒すと言う技を使っている。アメリカのFRBのバーナンキ議長がやっている手法だ。言葉や論文を使って次の政策を市場に読ませてゆく。その後市場予測かそれ以上の規模で金融緩和を行っている。
なお日本も昔為替相場で口先介入と言う手法を使っていたが、市場規模に対してあんまりにも力が無く、その後の為替介入も規模が小さく、市場から笑い者にされていた。
さてアベクロミクスのこの第一の矢だが、賛成派と反対派の間にはたった一つだけの違いがある。出口政策の問題なのだ。通貨供給量の増大は一気に出来るが回収にタイムラグが生じる可能性がある。この制御はとっても難しい。市場が先を読んだり、政策側が先を見誤ったりする。以前日銀が0金利政策を見直す失敗をしたのが典型的な失敗だ。
在来型の手法はマイルドな利き方をする。その上出口政策も本当は難しくない。
さてアベクロミクスがなぜ神学論争なのか。答えは簡単で、政府を信じるかどうかと言う論争だ。
現在の経済政策は、マネタリスムだろうが在来型だろうがケインズだろうが、規模が重大だ。民間資本がアメリカのGNPを軽く上回る時代だ。経済政策の掛け金がとても大きくなっている。
この中で政府が掛け金をどこまでベット出来るかどうか、ここがこの賭場を掴めるかどうかになっている。
出口政策が出来るかどうか。巨額を積むのだからこの不安はとても大きい。なので議論より神学論争になる。
これがはっきりした事件があった。それが4月の日銀金融政策決定会合だった。黒田総裁と副総裁2名はアベクロミクス推進派だ。だから票が割れる事はないと思われていたが、全員一致だった。他の3人は前日銀白川総裁下の委員だった。今までの反対は何だったのか?エコノミストとしての見識はどうなのかと批判されている。
ジワジワと来ているのだが、今ダイヤモンドオンライン・日経ビジネス・現代オンライン等でも白川総裁を評価し直す向きが出ている。更には池田信夫氏を「ブレていない」と評価したりする。
なお池田信夫氏だがネットではとっても嫌われている人物だ。特に反原発派からは嫌われている。だが経済学者としての見識は一貫している。
結果明快になったのは、政府を信用するかどうかだ。神学論争と言うのはそうゆうことだ。実際決着がつく論争ではない。純粋な学問世界の話しだからだ。前提が変わったら話しは永遠に平行線になる。ただ現実的にはミックスで政策が行われているだけに過ぎない。どこに比重を置くのか、それは為政者の仕事だ。
誰がこの政策をやるのか。それはずっと前から議論が続いていた。そう思えば話しは簡単だ。今回はじめて責任を取ると言った総裁がでた。そして首相がいるということだ。だが日銀は不信感を持たれてしまった。
さて答えを出すのは、自分の金や自分が責任を持って集めた金で運営する、現場だ。
アベノミクスは財政出動と規制緩和が後に続く。最近では財政赤字とGNPの比率問題で、90%以上になった国は経済成長が停滞すると言う論文が否定されつつある。このインパクトのあった論文がたった2年で否定されているのも気になるが、財政出動には限界がある。規制緩和には、日本には哲学がない。
出口政策が出来るかどうか。不信感しかない。
そもそも国家が解体されつつあるように感じるのは、私だけではないだろう。テロはその隙間で起きる。
アベクロニクスの第一の矢、通貨供給量の増大なのだが、これはレーガン・サッチャー時代から続いている。当時日経新聞を毎日読んでいたので、この議論は記憶にある。これは経済指標のうち通貨供給量の制御で経済を制御しようというものだ。マネタリスムと言う。当時の議論では景気も良かった事もあり、どちらかと言えば民間の増大したマネーに今までの金融政策が通用しなくなった事が背景にある。その上レーガン・サッチャーは完全自由主義経済の実現を考えていたので、マネタリスムの単純な手法と親和性が高かった。
当然反発はある。というかそんな単純な方法で良いのかと誰もが思った。なので延々に議論は続くが、結果として従来の方法と通貨供給量の動向を需要指標とする、通常型が選択された。
次ぎに来たのがバブル崩壊と景気低迷だ。ここでマネタリスムとケインズの対決になる。ここでは互いに良い議論になったと思うが、単純な手法故に政治家にとっては面白くなかった。そこでケインズ型のバラ巻き政策が行われる。
結果はご存知だろう。ただここで一番の違いは、量だった。レーガン・サッチャー時代は誘導するという意味があったが、民間資本が更に増大してマネタリスムの手法でも量がないと意味が無くなって来たのだ。とはいえ財政問題があるのでケインズ型も限界がある。互いに限界がある事を知りつつの議論になっていたと思う。
これが表面化したのが、やはりリーマンショックだ。どんな技法も限界があると言う事を示したものだ。更に民間資本が国家を上回った。制御不能になりつつある。単純に見ても財務相・中央銀行総裁会議、つまりG8がG20に増えた。主要プレイヤーが増えたのだ。もはや意見がまとまる事はなく、実行力が無くなっている。いやG8ではもはや制御不可能になっていた、だからメンバーを増やしたのだ。そう考えた方が良いだろう。そうでもしなければ行けなかった。
日本では最後の手段がマネタリスムだった。正確に言えばもう既にこの手法は織り込んであった。前日銀白川総裁も実際にやっている。ただ規模が違うだけだ。
今のアメリカの金融政策はその点でも凄いのだが、市場に空気を作って一気に蹴倒すと言う技を使っている。アメリカのFRBのバーナンキ議長がやっている手法だ。言葉や論文を使って次の政策を市場に読ませてゆく。その後市場予測かそれ以上の規模で金融緩和を行っている。
なお日本も昔為替相場で口先介入と言う手法を使っていたが、市場規模に対してあんまりにも力が無く、その後の為替介入も規模が小さく、市場から笑い者にされていた。
さてアベクロミクスのこの第一の矢だが、賛成派と反対派の間にはたった一つだけの違いがある。出口政策の問題なのだ。通貨供給量の増大は一気に出来るが回収にタイムラグが生じる可能性がある。この制御はとっても難しい。市場が先を読んだり、政策側が先を見誤ったりする。以前日銀が0金利政策を見直す失敗をしたのが典型的な失敗だ。
在来型の手法はマイルドな利き方をする。その上出口政策も本当は難しくない。
さてアベクロミクスがなぜ神学論争なのか。答えは簡単で、政府を信じるかどうかと言う論争だ。
現在の経済政策は、マネタリスムだろうが在来型だろうがケインズだろうが、規模が重大だ。民間資本がアメリカのGNPを軽く上回る時代だ。経済政策の掛け金がとても大きくなっている。
この中で政府が掛け金をどこまでベット出来るかどうか、ここがこの賭場を掴めるかどうかになっている。
出口政策が出来るかどうか。巨額を積むのだからこの不安はとても大きい。なので議論より神学論争になる。
これがはっきりした事件があった。それが4月の日銀金融政策決定会合だった。黒田総裁と副総裁2名はアベクロミクス推進派だ。だから票が割れる事はないと思われていたが、全員一致だった。他の3人は前日銀白川総裁下の委員だった。今までの反対は何だったのか?エコノミストとしての見識はどうなのかと批判されている。
ジワジワと来ているのだが、今ダイヤモンドオンライン・日経ビジネス・現代オンライン等でも白川総裁を評価し直す向きが出ている。更には池田信夫氏を「ブレていない」と評価したりする。
なお池田信夫氏だがネットではとっても嫌われている人物だ。特に反原発派からは嫌われている。だが経済学者としての見識は一貫している。
結果明快になったのは、政府を信用するかどうかだ。神学論争と言うのはそうゆうことだ。実際決着がつく論争ではない。純粋な学問世界の話しだからだ。前提が変わったら話しは永遠に平行線になる。ただ現実的にはミックスで政策が行われているだけに過ぎない。どこに比重を置くのか、それは為政者の仕事だ。
誰がこの政策をやるのか。それはずっと前から議論が続いていた。そう思えば話しは簡単だ。今回はじめて責任を取ると言った総裁がでた。そして首相がいるということだ。だが日銀は不信感を持たれてしまった。
さて答えを出すのは、自分の金や自分が責任を持って集めた金で運営する、現場だ。
アベノミクスは財政出動と規制緩和が後に続く。最近では財政赤字とGNPの比率問題で、90%以上になった国は経済成長が停滞すると言う論文が否定されつつある。このインパクトのあった論文がたった2年で否定されているのも気になるが、財政出動には限界がある。規制緩和には、日本には哲学がない。
出口政策が出来るかどうか。不信感しかない。
そもそも国家が解体されつつあるように感じるのは、私だけではないだろう。テロはその隙間で起きる。