政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」があった。
正直な所、この式典が取りざたされていた頃から悪い冗談だと思っていた。中国と韓国との問題もある。北朝鮮問題もある。こういった時期には波紋を残すよ可能性があった。しかも61周年と言う何の意味があるのか分からないタイミングだ。
そして天皇、皇后両陛下が出席した。衆参両院議長や最高裁長官、閣僚を含む国会議員や知事ら約390人が参加して、民主党の海江田万里代表、公明党の山口那津男代表は出席した。ちょっと感心したのが日本維新の会、みんなの党が出席しなかった事。ある意味極右政党だが、事を良くわきまえている。社民党、共産党の欠席は当然か。政府主催と言え形式的には国家行事のレベルだ。
今の所中国や韓国の反発は聞こえてこない。中国はサンフランシスコ条約に批准していないし、韓国は建前と裏側をよく読んでから反応するだろう。というか、その前の靖国参拝が大きすぎて反応していないのだろう。「第468回忠武公(李舜臣)誕生記念式典」でもこの話しは出なかったようだ。
というか豊臣秀吉の事をまだいっているのだが、ネジくれてファンダメンタリスムに走っているのでしょうがない。その事を前回書いた。
沖縄の反発は大きかった。これは当然だ。サンフランシスコ条約で沖縄は占領が続く事になり、そして今も基地に占領され続けている。ハア?と言うのはよくわかる。主権?なにそれおいしいの?だったら独立して味わいたいものダネ!と言った具合だ。
なお日本の世襲政治家は沖縄の独立運動をなめている。大体の独立運動は小さな事からはじまって、小さな行き違いがあって、それが拡大してゆくものだ。今回は沖縄の事を考えてもいないし、そこを無視して考えていた。大変はらただしいことだ。こうして沖縄独立にすこしづつ油を注いでゆく日本政府であった。
とはいっても沖縄は日本のアイルランドにはならないと思うが、寄り添う姿勢を見せない限り厳しい状況は続くだろう。そう、上から目線になっている。
なぜこの式典がよくわからないタイミングで行われたのかは、とても簡単だ。安倍総理のロシア訪問にあわせたのだ。日本はサンフランシスコ条約に批准した、そして旧ソ連はこれに批准していない。連合国としてどうなのかという意味合いもある。ロシアとの交渉の前提としてサンフランシスコ条約を大々的に取り上げたと思う。
だがこれが成功するとは全く思えない。
すぐ5月3日に、祝日「憲法の日」があるという事も変だ。建前上は主権回復を祝い、国際平和への道を歩みだした日とし、次の憲法の日では平和憲法を尊ぶのなら解る。
ただ安倍総理が改憲論者で、前回の改憲試案も今回の改憲試案もムチャクチャだということだ。はっきり言えば明治憲法の方がまだよろしい。憲法の呈をなしていないからだ。
その上で、憲法の日の前に、主権回復式典を行うと言うのは、サンフランシスコ条約は遵守しますが憲法はそのとき押し付けられたものですから改憲します、そういっているのと同じなのだ。
もしそうだとすれば、彼らは最悪な政治家となる。本来憲法は彼ら政治家・権力者を制限するための法なのだ。憲法と法の違いを解っていない。
大体「五箇条の御誓文」と憲法の違いを解っていない。主権者であり日本最高の権威者たる天皇が国民に約束して違わないとしたのが五箇条の御誓文であって、マニュフェスト厳密版でしかない。議論を尽くして出たものではない。
だからグズグズとくずれていった。それはそれで正しかった。だが憲法は違う。政治家の行動規範なのだ。
人の生活を規定するのは法で良い。それで十分なのだ。それをいちいち規定する第一次安倍内閣の憲法試案は最低だ。国のあり方を規定するのが憲法だが、それを法レベルで考えているのがとても良くない。
なぜこうなるのかと言えば、現在の法整備とその実効が必ずしも憲法に則っているとは思えないからだ。それに慣れきった政治家たちが考えるのは、法レベルの発想でしかないからだ。
憲法にはある哲学が必要だ。それがないと言うのはどうも不味いと思う。
どちらにしても、「憲法の日」がすぐあるのに「主権回復の日」はいらないだろう。61年と言う節目も全く解らないし、毎年やる意味も解らない。「憲法の日」で必要十分、こんな事に国費を使い天皇陛下を煩わせるんだったら、中国の習近平との会談はよっぽどマシだった。さらに島根県の「竹島の日」のほうがささやかすぎてマシ。
その上で、日本の真の主権とは何か、考え直すべきだろう。それは主権者は国民全部と言う事だからだ。政治家のものではない事は、確かなのだ。そして旧主権者と、今の主権者を取り違えている。
彼らの中では、旧主権者が本当の主権者なのかもしれないが、憲法の規定では主権者は国民だ。旧主権者は参政権を持てない、つまり主権に制限がかかっている。現行憲法下で、国民と言う主権者から選出された政治家は、これを遵守しなければならない。
私自身は憲法9条改憲論に賛成するが、憲法96条の改憲には反対します。政治家が議席の数だけで憲法改正するのは、それこそ憲法違反だからです。96条は改憲規定ですから軽いように思えて極めて重いのです。
最後に、このところの安倍政権の動きですがなにかアメリカの虎の尾をあえて踏みに行っています。それに気がついているのでしょうか。正直な所無謀に思えます。
訂正4/30:4月28日を憲法の日と勘違いしておりまして、訂正しました。
正直な所、この式典が取りざたされていた頃から悪い冗談だと思っていた。中国と韓国との問題もある。北朝鮮問題もある。こういった時期には波紋を残すよ可能性があった。しかも61周年と言う何の意味があるのか分からないタイミングだ。
そして天皇、皇后両陛下が出席した。衆参両院議長や最高裁長官、閣僚を含む国会議員や知事ら約390人が参加して、民主党の海江田万里代表、公明党の山口那津男代表は出席した。ちょっと感心したのが日本維新の会、みんなの党が出席しなかった事。ある意味極右政党だが、事を良くわきまえている。社民党、共産党の欠席は当然か。政府主催と言え形式的には国家行事のレベルだ。
今の所中国や韓国の反発は聞こえてこない。中国はサンフランシスコ条約に批准していないし、韓国は建前と裏側をよく読んでから反応するだろう。というか、その前の靖国参拝が大きすぎて反応していないのだろう。「第468回忠武公(李舜臣)誕生記念式典」でもこの話しは出なかったようだ。
というか豊臣秀吉の事をまだいっているのだが、ネジくれてファンダメンタリスムに走っているのでしょうがない。その事を前回書いた。
沖縄の反発は大きかった。これは当然だ。サンフランシスコ条約で沖縄は占領が続く事になり、そして今も基地に占領され続けている。ハア?と言うのはよくわかる。主権?なにそれおいしいの?だったら独立して味わいたいものダネ!と言った具合だ。
なお日本の世襲政治家は沖縄の独立運動をなめている。大体の独立運動は小さな事からはじまって、小さな行き違いがあって、それが拡大してゆくものだ。今回は沖縄の事を考えてもいないし、そこを無視して考えていた。大変はらただしいことだ。こうして沖縄独立にすこしづつ油を注いでゆく日本政府であった。
とはいっても沖縄は日本のアイルランドにはならないと思うが、寄り添う姿勢を見せない限り厳しい状況は続くだろう。そう、上から目線になっている。
なぜこの式典がよくわからないタイミングで行われたのかは、とても簡単だ。安倍総理のロシア訪問にあわせたのだ。日本はサンフランシスコ条約に批准した、そして旧ソ連はこれに批准していない。連合国としてどうなのかという意味合いもある。ロシアとの交渉の前提としてサンフランシスコ条約を大々的に取り上げたと思う。
だがこれが成功するとは全く思えない。
すぐ5月3日に、祝日「憲法の日」があるという事も変だ。建前上は主権回復を祝い、国際平和への道を歩みだした日とし、次の憲法の日では平和憲法を尊ぶのなら解る。
ただ安倍総理が改憲論者で、前回の改憲試案も今回の改憲試案もムチャクチャだということだ。はっきり言えば明治憲法の方がまだよろしい。憲法の呈をなしていないからだ。
その上で、憲法の日の前に、主権回復式典を行うと言うのは、サンフランシスコ条約は遵守しますが憲法はそのとき押し付けられたものですから改憲します、そういっているのと同じなのだ。
もしそうだとすれば、彼らは最悪な政治家となる。本来憲法は彼ら政治家・権力者を制限するための法なのだ。憲法と法の違いを解っていない。
大体「五箇条の御誓文」と憲法の違いを解っていない。主権者であり日本最高の権威者たる天皇が国民に約束して違わないとしたのが五箇条の御誓文であって、マニュフェスト厳密版でしかない。議論を尽くして出たものではない。
だからグズグズとくずれていった。それはそれで正しかった。だが憲法は違う。政治家の行動規範なのだ。
人の生活を規定するのは法で良い。それで十分なのだ。それをいちいち規定する第一次安倍内閣の憲法試案は最低だ。国のあり方を規定するのが憲法だが、それを法レベルで考えているのがとても良くない。
なぜこうなるのかと言えば、現在の法整備とその実効が必ずしも憲法に則っているとは思えないからだ。それに慣れきった政治家たちが考えるのは、法レベルの発想でしかないからだ。
憲法にはある哲学が必要だ。それがないと言うのはどうも不味いと思う。
どちらにしても、「憲法の日」がすぐあるのに「主権回復の日」はいらないだろう。61年と言う節目も全く解らないし、毎年やる意味も解らない。「憲法の日」で必要十分、こんな事に国費を使い天皇陛下を煩わせるんだったら、中国の習近平との会談はよっぽどマシだった。さらに島根県の「竹島の日」のほうがささやかすぎてマシ。
その上で、日本の真の主権とは何か、考え直すべきだろう。それは主権者は国民全部と言う事だからだ。政治家のものではない事は、確かなのだ。そして旧主権者と、今の主権者を取り違えている。
彼らの中では、旧主権者が本当の主権者なのかもしれないが、憲法の規定では主権者は国民だ。旧主権者は参政権を持てない、つまり主権に制限がかかっている。現行憲法下で、国民と言う主権者から選出された政治家は、これを遵守しなければならない。
私自身は憲法9条改憲論に賛成するが、憲法96条の改憲には反対します。政治家が議席の数だけで憲法改正するのは、それこそ憲法違反だからです。96条は改憲規定ですから軽いように思えて極めて重いのです。
最後に、このところの安倍政権の動きですがなにかアメリカの虎の尾をあえて踏みに行っています。それに気がついているのでしょうか。正直な所無謀に思えます。
訂正4/30:4月28日を憲法の日と勘違いしておりまして、訂正しました。