どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

快晴でした

2017-05-03 01:00:51 | 日記

 

今日で桜は本当に終わった。あとは八重桜が咲くが、八重桜は本当に花期が長いので焦ることはない。じっくりと撮影できる。

植物の種で、播種期に「桜の散る頃」とか「八重桜の散る頃」と書かれたものがある。桜と書かれた場合は大体ソメイヨシノだが、ソメイヨシノが散る時期の気温はあまり安定していない。花冷えとかそう行った言葉があるほどだ。しかし八重桜、特に一般的な「関山」は本当に安定している。開花までの積算温度が高いせいだろうが、冬の状態に影響されにくいようだ。今年のように桜の品種ごとの開花期が重なった場合でも、キッチリ他の桜が散り始めた時点で咲き始めた。

これが散るということは、気温が安定してきたということなのだろう。

 

 

北水の池のカメは1匹だけだったと思うが、2匹になっていた。大きさも大して変わらないことから、突然二つに分裂したわけでもあるまいし、誰だ離したやつは。

 

 

中高年男性がキレやすいのは、心理学的にいえば不安を抱えているからだという。まず年齢、老いですな。次に生活がどうなるのか。これはそうだな。さらに社会的な立ち位置が不安定になる。どうゆうことかといえば出世も限界が見えたし定年後の生き方も見えない。家庭の問題もあるだろう。

そう行ったことが考えられる。私もそうだが、そもそも自営業なのでこの手の不安は日々の話で、こんなので不安になった日には仕事にならないわけで、そう行った意味である日突然ドカンとくる日まで前向きに生きないとやってられない。

だがサラリーマンだとそうはいかないようだ。安定していたぶん不安も多いようだ。だが不安でいっぱいの人は強い人に怒りをぶつけられない。なので弱い人にゆく。できれば社会的な権威があって弱い人だ。なので駅員とかブランドの店員などにあたる。だが強い人が出てくると突然に引っ込んでゆくようだ。

不安を何処かにぶつけないとやっていられない。実はこれは世界的なものだ。だが世界で見ればその不安がなぜ生じるのかは個別に全く違うように見える。乱暴に、ただ単に不安になる何かが世界を席巻していると仮定すると、一つだけ考えられる。

人は社会で、交換可能になったのだ。

これは私の業界では20年前からあった話だ。オートフォーカスと自動露出で結婚式場のスナップ写真はアルバイトでできることになった。技術はいらないと。技術革新で交換可能になったのだが、そこには資本の厳然たる論理がある。社会的地位もよほどでなければ交換可能になった。工業が人件費を理由に工場を移転するように、人の価値は簡単に値切られるようになった。

SNSの発達はこの交換可能性と一致していると思う。値切られない人になるために常に情報発信することが求められる。そして安全のために、旧来の価値観を広げる。

ここで逆説的に、個人を主張した結果、没個性を求める社会になっているとすればそこに何があるのだろうか。

 

 

ハンナ・アーレントを読まなればいけなくなったようだ。